歴史と世界の中の日本人
第41回 今村均
同一家族同胞主義を貫いた日本人将軍

(YFWP『NEW YOUTH』201号[2017年3月号]より)

 インドネシアの歴史教科書に掲載され、今も称賛されている日本の陸軍軍人がいる。

 太平洋戦争でジャワ(インドネシア)を攻略する作戦を指揮した今村均陸軍大将 (1886~1968年)である。

▲今村均(ウィキペディアより)

 漫画家の水木しげるは、ラバウルで兵役に就いていた頃、視察に来た今村から言葉をかけられた時の印象をこう語っている。
 「私の会った人の中で一番温かさを感じる人だった」。

 今村の占領地での軍政指導能力は高く、温厚で高潔な人柄とその行いは旧占領国の現地住民だけでなく、敵国であった連合国側からも称えられている。

 攻略の際、今村はオランダによって流刑となっていたインドネシア独立運動の指導者、スカルノら政治犯を解放し、資金や物資の援助も行っている。

 攻略した石油精製施設を復旧して石油価格をオランダ統治時代の半額にした。
 現地の子供たちのために各所に学校の建設を行い、日本軍兵士に対し略奪などの不法行為を厳禁として治安の維持に努めた。

 ジャワ統治の実情を調査した政府高官は「原住民は全く日本人に親しみを寄せ、オランダ人は敵対を断念している」「治安状況、産業の復旧、需物資の調達において、ジャワの成果がずば抜けて良い」と報告している。

 今村は「八紘一宇というのが、同一家族同胞主義であるのに、何か侵略主義のように思われている」と述べ、侵略主義を排して同一家族同胞主義を貫いた。

 敗戦によって今村も戦犯として軍法会議にかけられ、オーストラリア軍による裁判では、一度は死刑にされかけたが、現地住民などの証言もあって禁錮10年の判決となった。
 オランダ軍による裁判では無罪とされた。

 今村は巣鴨拘置所に送られたが、「(いまだに環境の悪い南方で服役をしている元部下たちのことを考えると)自分だけ東京にいることはできない」と、多数の日本軍将兵が収容されているマヌス島刑務所(パプアニューギニア)への入所を希望した。

 その態度に心動かされたGHQ司令官マッカーサーは、「日本に来て以来、初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐに許可するよう命じた」と言ったという。

 今村均は終生、他者のために生き、自らの責任を果たした愛の将軍であった。

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 次回は、「『緑の父』と呼ばれた日本人」をお届けします。