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統一原理127のポイント 53
イエスの路程に対する預言の両面性とは何か、聖句を引用して、なぜそのような預言がなされるのか説明してください

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第8弾、『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。

(光言社・刊『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』より)

第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的
52 イエスの路程に対する預言の両面性とは何か、聖句を引用して、なぜそのような預言がなされるのか説明してください。(『原理講論』、188〜190ページ)

 イザヤ書五三章二節から三節、「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった」。

 イザヤ書九章六節、「まつりごとはその肩にあり、その名は、『霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君』ととなえられる」。

 人間には、人間自身が遂行すべき責任分担があって、神のみ旨どおりにそれを成し遂げることもできるし、逆にそのみ旨に反して、成し遂げられないこともあり得ます。このように、人間は人間自身の責任分担の遂行いかんによっては、そのいずれの結果ももたらすようになるのです。したがって神は、み旨成就に対する預言を、両面性をもってなさざるを得なかったのです。

 メシヤを遣わすことは神の責任分担ですが、来られるメシヤを信ずるか否かは人間の責任分担に属することであり、人間の責任分担の遂行いかんによって生ずる両面の結果に備えて、神はイエスのみ旨成就に対する預言を二通りにせざるを得なかったのです。

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 次回は、「イエスの十字架が必然的なように記録されている聖句を二つ挙げ、説明してください」をお届けします。