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心のあり方 35
ハングル創製「世宗」

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第九章 意志さえあればできないことはない

ハングル創製「世宗(セヂョン)」

 世界には多くの言語がありますが、文鮮明先生は、韓国の文字「ハングル」をとても評価しています。創製された当時は「訓民正音(くんみんせいおん)」と言われましたが、二十世紀に入ってから「ハングル」と呼ばれるようになりました。「ハングル」とは偉大な文字という意味です。

 「韓国の言葉には、人の心情を表現できるさまざまな形容詞と副詞が非常に豊富です。この世界のいかなる国の言葉も、人の複雑な心を韓国の言葉ほど繊細に表現できません。言葉はすなわち人です。言葉が繊細だということは、その人の心が繊細だということです。

 韓国人が使うハングルもまた、どれほど素晴らしいでしょうか。私は『訓民正音』という言葉が本当に好きです。『民を教える正しい音』という、このように美しい意味を持つ文字を使う国は韓国だけです。デジタル時代となり、ハングルの優秀性がより大きく表れています。子音と母音の単純な組み合わせだけで、人間がこの世で出すあらゆる音をすべて記すことができるのですから、本当に驚くべきことです」(自叙伝288─289ページ)。

 では、「ハングル」はいつ、誰が創製したのでしょうか。朝鮮王朝第四代王、世宗(セヂョン/在位1418年─1450年)によって作られました。

 彼は、一時期、政局に巻き込まれて王宮から辺境の地に左遷されました。そこで、苦しむ見捨てられた民の悲惨な姿を目にしたのです。漢字を読めないがゆえに、王様に苦情を訴えられない民たち、漢字文書をだまされて(※改ざんされて)罪をかぶせられる民たち、彼らのために、涙を流し苦悩したのです。ある意味では、王という立場を超えて、民衆の父母の立場に立ったのです。そのため、漢字の読めない民衆のために文字を作ろうと決意したのです。

 しかし、王の前に、二つの大きな壁と試練が立ちはだかります。

 一つは、国家を運営する官僚たちと王を支えていた文化的指導者たちです。彼らは、漢字を熟知することによって優位性と特権を維持していたのです。こぞって大反対しました。

 もう一つは、中国、明帝国です。周辺諸国を軍事力で威圧し従属させていました。朝鮮王朝が漢字を使うことで中国の優位性を誇示していたのです。朝鮮王朝が固有文字を作ることなど、絶対に許さず、強行すれば、戦争を仕掛ける危険性もあったのです。

 この二つの試練を克服して「ハングル」創製を成し遂げた世宗の不退転の意志を描いたのが、韓流歴史ドラマ『大王世宗』です。

 ドラマ『大王世宗』では、民衆への愛の意志が二つの試練を乗り越えていく過程が見事に描かれています。

 世宗は文字開発のために不眠不休、全身全霊で投入します。しかも、周りの官僚たちに気づかれずに細心の注意を払ってです。民衆のために、国政を担当する指導者たちをあざむいたのです。しかし、その心労がたたって世宗は失明してしまいます。愛で目を失ったのです。

 王がかつて最も信頼していた部下も徹底的に反対し、ついに辞表を提出します。王は権力を行使して部下を処刑できたのです。しかし、世宗はそうしませんでした。それどころか辞表も受理しません。彼が承認してこそ、ハングル公布が可能だと確信していたからです。

 反対する部下はハングル創製の秘密基地を突き止め、王様と刺し違えてでも阻止しようと命懸けで乗り込みます。

 暗い地下の一室、蝋燭(ろうそく)のともし火がわずかに世宗を照らしています。部下は襲いかかろうとしますが、思いとどまりました。なぜなら、世宗は自分を見ているはずなのに別人の名前を呼んだからです。その時、部下はすべてを悟ったのです。そして、涙がこみ上げてきました。

 泣きながら自らに語った言葉を要約すればこうなります。

 「きょう、私は負けます。あなたが注いだ心血を認めます。あなたが、視力を損なってまでも、祖国朝鮮を思うあなたの熱意に私は敗れたのです」。

 こうして、ハングル創製は、王宮の統一された意思となったのです。第一の試練は、克服できました。意志さえあればできないことはなかったのです。

 しかし、中国が認めない限り公布できません。既に、明帝国は世宗の意志を察知して暗殺を試みたのです。

 ところが、奇跡は起こりました。

 ドラマ『大王世宗』は、世宗の妻(王后)の働きを見事に演出しています。

 ある日、中国皇帝に、世宗の妻が贈り物を持って謁見します。皇帝はあどけなさを残す少年です。朝貢の品は王后が自ら真心を込めて縫い上げた綿入れの服でした。皇帝は厳寒の地に遠征に出掛けるところでした。

 「つたない出来ですが、母の真心を込めました」。

 皇帝は幼い頃、母の愛を受けなかったのです。皇帝は胸を打たれ、「何か、お礼をしたいが」と問いかけます。

 世宗の妻は首を振って答えました。

 「何もございません。既に夫からこの世の何物にも替えられない貴重なものをもらいましたから」。

 その後、妻は、中国まで三千里を歩んだ過労でこの世を去ります。

 やがて、中国皇帝の使節が世宗に会いに来ます。世宗は失明を気づかれないように対面します。しかし、使節団長は何度も世宗の命を狙った非情な男です。たちまち、失明を見破ります。知った上で彼は中国皇帝の言葉を伝えます。

 「王后様が愛された朝鮮の文字が広く普及することを望んでいます」。

 世宗の夫婦愛と民衆への愛が中国皇帝の心を動かしたのです。使節団長は、別れ際に、部下にこう言います。

 「一人の盲人が万民の目を開いた」。

 大王世宗の民衆への愛の意志が不可能を可能にしたのです。ハングルは王と王妃の父母の愛から生まれたといえます。

 そして、大王世宗は、高らかにハングルを宣布します。

 「わが国の言語は中国と異なり、漢字とは互いに通じない。それゆえ民は言いたいことがあってもついにその意を表すことができない。私はこれを哀れに思い、新たに二十八文字をつくった。すべての民がすぐに学ぶことができ、日々の使用を簡便にしようとの思いからである」(『訓民正音』例義篇)(『韓国の歴史を知るための66章』金両基編著、明石書店、164ページ)

 意志さえあればできないことはないのです。

 では、どうしたら幸福への真の意志をもつことができるのでしょうか。簡単なことです。「朱に交われば赤くなる」という諺(ことわざ)があるように、意志の強い人と交流すればいいのです。

 愛には不思議な力があります。愛した人と、似ていく、という力です。愛の意志が弱くて、人のせいにばかりしている人と交流すれば、同じようになります。

 文鮮明先生は、強い意志を持った真の愛の人です。その方と交流すれば、意志の強さを身につけられるのです。真の愛の人に交われば真の愛の人になれるのです。

 では、どうしたら、交流できるのでしょうか。文鮮明先生は語られます。

 「言葉には魂があります」(自叙伝289ページ)。「言葉はすなわち人です」(自叙伝288ページ)。

 文鮮明先生の言葉を通して真の愛を身につける修養が、訓読と書写です。訓読とは、言葉を読み上げて耳で聞くことです。書写とは、言葉を紙に書き写すことです。

 訓読と書写を通して、真の愛の魂を自分の心に移植していくのです。まず、私自身が真の愛の人となり、次に私と交流する人たちが変わっていくのです。

 「急がば回れ」と言いますが、最も効率的で効果的な取り組みが、自分が変わることなのです。

【※は編集部の注釈】

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 次回は、「幸福の種蒔(ま)き」をお届けします。


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