真理とは、「実体み言」である天地人真の父母様
第1回 文字表記そのものが、真理ではない

教理研究院

 今回は「〝真理〟とは何か」について真のお父様のみ言から考察してみます。独り子(文鮮明総裁)が語られるみ言と、独り娘(韓鶴子総裁)が語られるみ言は、いずれも神から出てきているみ言であり、矛盾はありません。しかしながら、〝矛盾しているのではないか〟と考える人もいることから、以下、この問題について論じてみることにします。
 なお、これらの内容を総合的に理解し把握するためには、「真の父母様宣布文サイト」の掲載文や映像をごらんください。
 注:真の父母様のみ言や『原理講論』『統一思想要綱』からの引用は「青い字」で表記しています。

※『世界家庭』(天一国7年天暦12月)2020年2月号より転載

一、真理とは何か?

(1)文字表記そのものが、真理ではない
 「真理」とは何かと問うとき、私たちは文字表記そのものが真理であると考える傾向性を持っています。しかし、そのように考えることは浅薄であると言わざるをえません。『原理講論』では、真理について次のように論じています。

 「神霊と真理とは唯一であり、また永遠不変のものであるけれども、無知の状態から、次第に復帰されていく人間に、それを教えるための範囲、あるいは、それを表現する程度や方法は、時代に従って異ならざるを得ない……。……人間の心霊と知能の程度が高まるに従って、モーセの時代には律法を、イエスの時代には福音を下さったのである。その際、イエスは、そのみ言を真理と言わないで、彼自身がすなわち、道であり、真理であり、命であると言われたのであった。その訳は、イエスのみ言はどこまでも真理それ自身を表現する一つの方法であるにすぎず、そのみ言を受ける対象によって、その範囲と程度と方法とを異にせざるを得なかったからである。このような意味からして、聖書の文字は真理を表現する一つの方法であって、真理それ自体ではないということを、我々は知っていなければならない」(169ページ)

 『原理講論』は、み言とは真理を表現する一つの方法であるにすぎず、「真理それ自体ではない」と論じています。また、真のお父様は「真理とは何か?」について次のように語っておられます。

 「真理とは何でしょうか。真理の根本は何でしょうか。自分以上の真理はありません。天国の真理は一人の男性、一人の女性以外にはないのです。何の話か分かりますか。全世界の男性を代表する真なる男性がいれば、その真なる男性の四肢五体が真理なのです。真理は文字ではありません。真なる女性が真理なのです。そして真なる真理の父とは、真なる愛をもった人です。また真なる真理の夫婦という真の愛をもった真理体が一つになる時、真なる真理の殿堂になるのです」(『ファミリー』1989年1月号38ページ)

 真のお父様は、真理とは「真なる男性がいれば、その真なる男性の四肢五体」であり、また「真なる女性」のことをいうと語っておられ、「真理は文字ではありません」と断言しておられます。すなわち、完成したアダムである「真なる男性」、完成したエバである「真なる女性」こそが〝真理〟であると言われているのです。さらに「真なる真理の殿堂」とは「真なる真理の夫婦という……真理体」のことであり、それは真の父母様を指している概念です。

 以上のことから、「真理とは何か?」と問うとき、『原理講論』やみ言はあくまで真理を文字で表現したものにすぎず、真理それ自体ではないという事実を知らなければなりません。
 イエス様ご自身も「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネによる福音書14章6節)と語っておられるように、真のお父様は「真理とは何か?」について、それは個性完成した男性(完成アダム)、個性完成した女性(完成エバ)の四肢五体、すなわち「個性完成した実体の人間」を指して〝真理〟と語っておられます。

 (注:真のお父様は、「統一原理」「勝共理論」「統一思想」の三つをもって統一理論と言われた。お父様は、この統一理論に基づいてこそ、み言が理解できると語っておられる)