世界はどこに向かうのか
~情報分析者の視点~

英・EU離脱後の「王国連合」解体の懸念

渡邊 芳雄(国際平和研究所所長)

 1月13日から19日までを振り返ります。

 この間、以下のような出来事がありました。
 第28回日本共産党大会開催(14~18日)。トランプ氏弾劾裁判、上院で始まる(16日)。ソウル中央地検、職権乱用で韓国前法相を在宅起訴(17日)。金正恩氏、持久戦へ外交強化か、北朝鮮大使が一斉に帰国(18日)。日米安全保障条約改定から60年(19日)。英国下院がEU(欧州連合)離脱協定法案を大差で可決、1月末の離脱確実に(19日)、などです。

 今回は、英国のEU離脱について説明します。
 19日、英国下院がEU離脱協定法案を大差で可決しました。上院には拒否権がありませんので、今月末の離脱が確実になりました。

 昨年12月12日、総選挙(総議席650議席)が実施され、ジョンソン首相率いる与党保守党が単独過半数(326議席)を大きく超える365議席を獲得したため、下院での法案通過を確実なものにしていました。

 今後、12月末までEUと現状の関係を保つ「移行期間」に入ります。この間に、来年1月の完全な離脱に備え、EUと自由貿易協定(FTA)の締結交渉に臨むことになるのですが、交渉期間の短さを指摘する声が多いのです。

 さらに、多くの識者から離脱後の連合王国解体の懸念が指摘されています。
 まず「アイルランド問題」の再燃です。

 英国の正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」です。連合王国に至る歴史的変遷を見れば、まず、イングランドが13世紀にウェールズを併合、次に18世紀初めにスコットランドと連合して「グレートブリテン」に、さらに19世紀初めにアイルランドを加えて「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」となりました。

 ところがその後、「アイルランド問題」で連合王国は危機に陥ります。イングランド支配に対する独立闘争でアイルランドは南北に割れて争いました。結局1922年に南部が離れ、それがアイルランド共和国となり、連合王国の部分解体となったのです。

 さらに、1968年から98年までの「北アイルランド紛争」が起こります。北アイルランドは連合王国にとどまるのか、南の共和国と連合するのかで争いとなり、3万の英軍も動員されました。98年、ブレア政権時代に和平合意に至り、「北」の残留で決着しました。

 ここにきて、離脱後、北アイルランドの対英独立の可能性が指摘されています。
 英政府とEUの協定案は、北アイルランドと海を隔てた英本土の間で取引をする物品の一部に税関申告や検査を導入します。一方、北アイルランドと陸続きのEU加盟国のアイルランドとの間では、こうした申告や検査は不要とします。北アイルランドはEUの物品規則が適用され、英本土とアイルランド島の間には、事実上の「境界線」ができることになるのです。

 次にスコットランド独立の動きもあります。
 スコットランドはEU残留派が多いのです。2014年9月にスコットランド独立の住民投票が実施されました。その時は反対55%、賛成45%で否決され独立派が敗北しましたが、16年のEU離脱の是非を問う英国全体の住民投票では、スコットランドに限れば62%が残留を支持しました。
 さらに昨年12月の総選挙で保守党が大勝しましたが、この地で圧勝したのは独立を訴える「スコットランド民族党」だったのです。独立運動の背景には北海油田・ガス田からの税収が英政府に無駄に使われているなどとする不満があります。

 英国のEUからの離脱は「王国連合」解体の引き金になるかもしれません。