コラム・週刊Blessed Life 98
二宮尊徳の報徳思想

新海 一朗(コラムニスト)

 二宮尊徳(17871856)が抱いた報徳の教えを、尊徳自身が分かりやすくまとめたものが「報徳訓」と呼ばれるものです。その内容は、以下のとおりです。

 父母の根元は天地の令命に在り。身体の根元は父母の生育に在り。子孫の相続は夫婦の丹精に在り。父母の富貴は祖先の勤功に在り。吾身の富貴は父母の積善に在り。子孫の富貴は自己の勤労に在り。身命の長養は衣食住の三つに在り。田畑山林は人民の勤耕に在り。今年の衣食は昨年の産業に在り。来年の衣食は今年の艱難に在り。年々歳々報恩を忘るべからず。(二宮尊徳「報徳訓」より)

 この「報徳訓」は多くの日本人に親しまれてきました。
 二宮尊徳の思想は、現在に至るまで、廃れることなく生きており、影響を与え続けています。彼は自分の思想と現実社会のつながりを重視し、そこから彼の思想には強い生命力と力動性が生まれました。

 二宮尊徳は、全国の農村の復興を図るに際し、一つの地域にしか適用できないものと、地域を超えて普遍的に適用できるものを認識し、普遍的なものを「仕法」(=マニュアル)として標準化しました。21人の門人と23カ月の時間をかけて「仕法」の標準化を完成し、それを「仕法雛形」と呼びました。
 「仕法雛形」を完成するプロセスによって、弟子たちが育っていく教育の雛形(ひながた)が生まれることになり、斉藤高行、福住正兄らの優秀な弟子ができたのです。二人は仕法の正しさを証明し、師である二宮尊徳の報徳思想の基盤を築きました。

 仕法の成功例として挙げられるのが、富田高慶が主導した相馬藩の復興です。この相馬藩から、荒宗重、伊東発身、一条七郎右衛門、高野丹吾、志賀直道(志賀直哉の父)などの弟子たちが輩出されました。報徳思想の理解者は弟子たちの活躍を通して全国に増え、報徳思想は日本の村々、津々浦々に広がっていきます。

 経世済民、すなわち、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」ことを目指して、報徳思想を唱えるに至った二宮尊徳ですが、その結果、彼は「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導し、江戸時代末期に、日本全国の600もの農村経済を復興させることに成功し、貧困から農民を救ったのです。偉大な業績です。

 マックス・ウェーバー(18641920)は、彼の主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904年)の中で、清教徒(ピューリタン)たちの勤勉、節約、貯金などの精神が、近代資本主義の形成につながったことを看破しました。しかし、二宮尊徳の教えを見ると、日本版マックス・ウェーバーの思想というべき内容を、ウェーバーよりも早く見いだし実践していたことが分かります。

 ピーター・ドラッカー(19092005)は、二宮尊徳の経営哲学と経営実践に感動し、自分は日本に経営を教えることは何もないと感じたほどでした。あなたがたは二宮尊徳という立派な経営精神、財政再建の天才を持っているではないか、というのがドラッカーの偽らざる思いでありました。

 今、私たちは欧米の経営に学ぶといった、いわゆる、欧米志向に走りやすい性向をいや応なく身に付けてしまった感があります。しかし、二宮尊徳という「Japanese Puritan(日本のピューリタン)」がいたことを思い起こしたいものです。
 その精神は、渋沢栄一へと受け継がれ、近現代の日本の発展と繁栄を築いた事実を、何よりも、ドラッカーははっきりと見抜いていたのです。

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