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統一原理127のポイント 40
自由と堕落を説明してください

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第8弾、『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。

(光言社・刊『統一原理127のポイント~百日修練会の試験問題と模範解答から』より)

第二章 堕落論
39 自由と堕落を説明してください。(自由の原理的意義、自由と人間の堕落)(『原理講論』、125~127ページ)

 自由とは、自由意志と、これに従う自由行動とを一括して表現した言葉であり、前者と後者が一体となって初めて完全な自由が成立します。自由行動は、自由意志によって現れるものであり、自由意志は心の発露で、創造本然の人間においては、神のみ言、すなわち、原理を離れてはその心が働くことができないので、原理を離れた自由意志と、それに基づく自由行動はあり得ません。したがって、原理を離れた自由なるものはあり得ません。

 第二に、原理によって創造された人間は、それ自身の自由意志をもって、その責任分担を完遂することによってのみ完成するので、創造目的を追求していく人間は、常に自由意志をもって責任を全うしようとするので、責任のない自由はあり得ません。

 第三に、人間が、自由をもって、自身の責任分担を完遂しようとする目的は、創造目的を完成して、神を喜ばせ得るような実績を上げようとするところにあり、自由は常に実績を追求するがゆえに、実績のない自由はあり得ません。

 このように自由意志による自由行動は、善の結果のみをもたらすようになるので、人間は決して自由によって堕落することはできません。このような自由を、本心の自由といいます。エバが原理を脱線しようとしたとき、原理的な責任と実績を追求する本心の自由は、彼女に不安と恐怖心を生じせしめ、原理を脱線しないように作用するのです。また堕落したのちにおいても、本心の自由は、神の前に帰るように作用するのです。人間の堕落は、本心の自由が志向する力よりも強い非原理的な愛の力によって、その自由が拘束されたところに起因します。堕落によって自由を失ったのです。

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 次回は、「神が人間始祖の堕落行為を干渉されなかった理由を説明してください」をお届けします。