シリーズ聖歌 1
聖歌 第一部 1番「復帰の園」

 皆さまのご要望にお応えして、Blessed Lifeからも世界平和統一家庭連合の「聖歌」をご視聴いただけるようになりました。第一部1番から順にご紹介してまいります。

 今回は、聖歌の第一部1番「復帰の園」をお届けします。

 「復帰の園」は興南(フンナム)の特別労務者収容所において、真のお父様(文鮮明先生)が作詞されたものです。
 1954年に現在の曲が作られ、歌詞にふさわしいものとなって、教会創立初期の数年間、数多く歌われた聖歌となりました。

 お父様は1946年神の啓示により平壌(ピョンヤン)に行かれ、伝道を始められました。しかし既成教会の牧師たちのねたみを買い、当局からのスパイ容疑も重なって捕らえられ、100日に及ぶ入獄、拷問を受けられたのです。

 しかしお父様はそれを超えて不死鳥のごとくよみがえられました。そして、再び捕らえられたのは19482月のことでした。その後520日に興南収容所に送られたのです。

 興南収容所は、強制労働によって囚人を処刑しようとする共産党の意図のもとに造られたものでした。
 強制労働は間違いなく死刑の宣告で、極端に少ない食事による飢えと労働の激しさが主要な死因でした。
 それらをどのように克服されたのでしょうか。お父様は、「感謝と幸福を感じる環境をつくった」とおっしゃいました。

 「どうせ、このご飯では死んでしまう。先生の決心は、このご飯半分で生きる! 残り半分は皆に分けた。半月過ぎてから、あとの半分も直接余分にもらうと思って食べた。本来半分なのに、この中の誰よりも自分は毎日、半分ずつ余分にもらうという感激、それは大きなものだよ。精神的に幸福だと思うためには、神との交流をいかにするか」

 「そして、労働に耐える決心をした。あと何分で休憩などと思わない。…いかにして忘れるかである。仕事の中で、40キロのカマスを持ち上げるのが一番苦しいから、みんな嫌がる。先生はそれをやらなければならない。みんな少しでも楽な仕事を探すが、結局は話にならない。一番難しい仕事を探してやらないと生き残る道がない」

 このような心情で死を克服していかれる日々は、まさに殉教の十字架を超える基準を打ち立てられるものでした。

 19701013日の夜に777組祝福家庭に興南の証しをされた時の、お父様のみ言があります。

 「旦那さんや奥さんが先に寝ている、ああー何だ、自分も疲れているのに。そうじゃないよ、疲れて寝たその姿に涙を流して敬礼する。そこに香りあれば花ざかりの香りだ。一緒に走るんだよ。何が来ても切り離せない夫婦として。もしそういう家庭を果たさなければ、先生の苦労はむなしい。花はあんたたちが咲かすんだよ!」

 聖歌1番「復帰の園」は、お父様が「このように生きよ」と切なる愛を込めて、硫安で溶ける指で書き留めてくださった、私たちへの貴い贈り物ではないでしょうか。
(参照:『聖歌のめぐみ』)

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