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心のあり方 8
悪なる心を断ち切る真の愛

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第二章 愛の刀で苦悩を断ち切る

悪なる心を断ち切る真の愛

 この悪なる心を断ち切らない限り、幸福にはなれません。幸福とは、愛する心、愛を感じる心、感謝する心、素直な心、謙虚な心、そしてすべてに責任を取ろうとする心から生じます。

 では、どうしたら悪なる心を断ち切れるのでしょうか? 愛の刀で断ち切るのです。ただし、それは普通の愛ではありません。

 普通の愛とは、「我」がある愛です。自己本位に人を愛する愛です。「我」があれば、必ず心に傷がつきます。柱にナイフを刺せば傷がつくでしょう、柱という形があるからです。しかし、空気は決して傷がつきません。ひたすら、人のために存在している空気には「我」という形がないからです。100パーセント人のために生きています。人のために生きる心には、我がないのです。もし、どこかに我が潜んでいれば、傷がつきます。

 もし、自分が幸せになりたいために、夫を愛しているなら、妻は夫の一言で傷つきます。妻は「夫の言葉が私を傷つけたので愛せなくなった」と言うことでしょう。しかし、真実は違います。妻の心の底に「我」があるので傷ついたのです。傷つけば歩けなくなるように、夫を愛する心が停止してしまったのです。

 「我」のある愛は、憎しみや怨みを断ち切ることはできません。「我」という根源が同じだからです。「私が」不幸にさせられた、「私が」面子を潰された。「私が」不愉快な思いにさせられた、「私が」尽くしたのにお返しがない。「私が」愛されたい。

 「私が」の心は、憎しみの心、許せない心、そして怨みの心へと肥大するのです。そのため、「我」の入った愛は、鈍くてほころびやすく、そのため、憎しみの心を断ち切れません。簡単に折れてしまい、逆に怨みの刀で断ち切られてしまうのです。

 真の愛は、「我」がない愛です。相手の幸福のために生きるという純度100パーセントの愛なのです。空気のような愛なのです。与えたことを忘れて、また与える心なのです。相手が不幸であれば、自分の不足を恥じてさらに、与える愛なのです。父母がひたむきに子女に与える無償の愛なのです。

 それゆえ、真の愛の刀だけが、怨みや憎しみの心を、断ち切ることができるのです。文鮮明先生の素晴らしさは、「我」のない、真の愛で人類を愛されたことです。迫害や拷問、牢獄、誹謗(ひぼう)中傷など、ありとあらゆる困難に出遭いました。

 もし、普通の愛であれば、傷だらけとなり、途中でやめていたかもしれません。しかし、こう言われます。

 「日本の植民統治時代と北朝鮮の共産政権、大韓民国の李承晩(イ スンマン)政権、そしてアメリカで、生涯に六回も主権と国境を超えて、無実の罪で牢屋暮らしの苦しみを経て、肉が削られ血が流れる痛みを味わいました。しかし今、私の心の中には小さな傷一つ残っていません。真の愛の前にあっては、傷など何でもないのです。真の愛の前にあっては、怨讐さえも跡形もなく溶けてなくなるのです」(自叙伝5ページ)

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 次回は、「韓流ドラマ『ピアノ』」をお届けします。


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