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心のあり方 4
文鮮明先生との出会い

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第11弾、『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。
 なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ~心のあり方』より)

第一章 苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばせてさしあげなさい

文鮮明先生との出会い

 この中で、最も大切なのは、私を幸福にしてくださる人との出会いです。

 では、そんな方がいるのでしょうか? いるのです。あなたは、今、『平和を愛する世界人として』(以後、自叙伝)を読むことなどを通して、文鮮明(ムン ソンミョン)先生と出会っていますね。その出会いが、実は、永遠の幸福との出会いなのです。では、どうしてそう言い切れるのでしょうか? それは、この方の生涯を見れば確信できるのです。

 自叙伝をじっくりと読めば、この方が「あなたの幸福のために生涯をかけた」人であることが分かるはずです。文鮮明先生は、1920年に、現在の北朝鮮、定州(チョンヂュ)にお生まれになりました。文家の家風は文鮮明先生の曾祖父から始められました。それは、家に食事を乞う人が来たら、必ず食べさせてあげるという伝統でした。

 人に食事を振る舞う家風だけは相変わらずで、家族が食べる分がなくても人を先に食べさせました。おかげで、私がよちよち歩きを始めて最初に学んだことが、まさしく人にご飯を食べさせるということでした。……母は八道(全国)の各地からやって来て家の前を通る人のために、いつでもご飯を作って食べさせました。乞食がご飯を恵んでくれと言ってきて、すぐにご飯を出さなければ、祖父がまず自分のお膳をさっと持って行きました。そのような家庭に生まれたせいか、私も……ご飯を食べさせる仕事が他のどんなことよりも貴く重要です。ご飯を食べる時、ご飯を食べられない人がそこにいれば、胸が痛く、喉が詰まって、スプーンを持つ手がそのまま止まってしまいます。(自叙伝21─22ページ)

 文鮮明先生は人々の苦しみや悲しみを見ると自然と涙が込み上げてきて、愛の手を差し伸べる少年として育っていきました。そして、青年になると、人生の方向性を定めました。元来、自然観察や分析が大好きでしたから、科学者になろうかとも思ったそうですが、人々への愛がそうさせませんでした。

 科学者になってノーベル賞を取ったとしても、ぼろを身にまとい、飢えた人たちの涙をぬぐい去ることはできないと思ったからです。

 私は人々の流れる涙をぬぐい、心の底に積もった悲しみを吹き払う人になりたかったのです。森の中に横になって鳥たちの歌声を聞くと、「あのさえずりみたいに、誰もが仲良く暮らせる世の中を築こう。一人一人の顔をかぐわしい花のように素晴らしくしてあげたい」という思いが自然と沸き上がってきました。(自叙伝58ページ)

 人類を幸福にするために、どう生きるべきか、深刻に悩みました。教会に通い聖書も読んでみましたが確かな回答が見つかりません。そこで、神様に涙ながらに祈ったのです。15歳の時のことです。生涯を決定する驚嘆すべき出来事が起こりました。

 私は涙を流して何度も何度も神様に尋ねました。

 祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現れました。風のように忽然(こつぜん)と現れたイエス様は、

 「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨(みむね)に対する特別な使命を果たしなさい」と語られたのです。

 その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、その声をはっきりと聞きました。イエス様が現れた時、私の体はヤマナラシの木が震えるように激しく震えました。その場で今すぐ死んでしまうのではないかと思われるほどの恐れ、そして胸が張り裂けるような感激が一度に襲いました。イエス様は、私がやるべきことをはっきりとお話しになりました。苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてさしあげなさい、という驚くべきみ言でした。(自叙伝62─63ページ)

 文鮮明先生の生涯を決したのは、イエス・キリストとの出会いだったのです。

 文鮮明先生の生涯は、苦しんでいる人類(私たちを含めて)を幸福にして、神様を喜ばせるために捧げられたのです。そのため、誤解、中傷、迫害、逮捕、拷問、などあらゆる困難に遭いましたが、救いの手を止めることはありませんでした。

 日本の植民地時代と北朝鮮の共産政権、大韓民国の李承晩(イ スンマン)政権、そしてアメリカで、生涯に六回も主権と国境を超えて、無実の罪で牢屋暮らしの苦しみを経て、肉が削られ血が流れる痛みを味わいました。しかし今、私の心の中には小さな傷一つ残っていません。真(まこと)の愛の前にあっては、傷など何でもないのです。真の愛の前にあっては、怨讐(おんしゅう)さえも跡形もなく溶けてなくなるのです。(自叙伝5ページ)

 では、苦しんでいる人類とは誰なのでしょう? もちろん、世界中で生きている七十億の人々ですが、今、この本を読んでいる、あなた自身でもあるのです。あなたが真の幸福になること、それが神様の喜びになるのです。

 だから、文鮮明先生との出会い、それは、真の幸福との出会いなのです。あなたを幸せにするために、真の愛が手を差し伸べたのです。今、差し出された愛の手を握って一歩踏み出すか否かは、あなた自身にかかっています。あとは、「素直に聞いて」「実践してみる」だけなのです。

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 次回は、「ある中学教師の忘れられない思い出」をお届けします。


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