コラム・週刊Blessed Life 70
米国で始まった「人間力」の教育

新海 一朗(コラムニスト)

 一つの国家が生き延びる方策は「伝統と教育」にあります。

 伝統を大切にしない国は滅びます。同様に、教育をないがしろにする国も滅びます。良き伝統をしっかりと子孫に残して民族の魂を保持すること、子供たちをしっかり教育して、学問・芸術など新しい文物を絶えず吸収していくこと、この二つは絶対に欠かせない国家存続の必須条件です。

 ここ数年のアメリカで起こっている教育上の変化があります。どこに力点を置くかという教育上の変化です。

 人間の能力には、「認知能力(Cognitive abilities)」と「非認知能力(Non-Cognitive abilities)」という二つがありますが、後者の「非認知能力」の方が、実は、人間が人間として生きていくためには絶対に必要であり、「認知能力」以上に大切であるという考えが採用されてきています。子供たちを教育する現場でも「非認知能力」を養うさまざまな取り組みが始まっているのです。

 「認知能力」とは何でしょうか。
 これは言語、論理、記憶、空間把握能力など、主に、「脳の機能」に由来する能力であり、いわゆる、一般的に「頭がいい、悪い」というときの受験勉強的な頭の良しあしを意味するものです。「知識力」と言い換えてもいいでしょう。しかし、頭がいくら良くても社会生活ができなければ駄目で、頭の良さだけではその人の人生をトータルに評価できません。

 そこで、次に、「非認知能力」ということですが、こちらの方は、人間として生きていくための力というべき能力で、ずばり「人間力」ということになります。この人間力を育てることが非常に重要であると、アメリカの教育関係者たちは気付いたことになります。

 人として生きていく力、すなわち、「人間力」は、支障なく社会生活を送るための能力であり、「人間力」のある人は社会的役割を担うことができるというのです。
 「人間力」は思いやり、感性、コミュニケーション、やり抜く力、協調性、表現力、想像力、創造力、集中力といったもので、「知識力」とは違う要素であるといいます。言われてみれば、なるほどという感じがしないでもありません。

 こうして見てくると、会社で、学校で、地域で、家庭で、スムーズに生活できて、社会的役割を果たせるような人格こそが尊いのだという結論になります。

 そうでない人があまりにも多いアメリカ社会の現実があることの裏返しとして「非認知能力」重視の教育が始まっていると見てよいと思います。日本にも当てはまるかもしれません。