コラム・週刊Blessed Life 68
「匠の技」「匠の精神」で発展する日本

新海 一朗(コラムニスト)

 近現代における経済は、英国の歴史に顕著に現れているように、植民地経済による発展という側面が見られました。
 植民地の資源と労働力を安価で利用し、宗主国がぼろ儲けするという、いわゆる、搾取の仕組みが働いていましたから、植民地の人々はまさに奴隷労働を強いられ、与えられた仕事に黙々と従事して製品を作り、それを宗主国が貿易によって世界の国々に高く売りさばいて儲けを得るという構図でした。

 ここで、植民地の人々が取り組んだ「モノづくり」の姿は奴隷の姿であり、「モノづくりは奴隷のやる仕事だ」という見方が成り立ちます。
 このような「モノづくり」には「匠の技」「匠の精神」が見られず、「モノ(商品)づくり」の創造的な工夫と発展を期待することはできません。

 より良い商品を提供して、人々に喜んでもらおうというのは、人々への愛、社会への愛がなければならず、お客さまの喜ぶ姿を見たいという心からの愛情が「モノづくり」の動機となり工夫の源泉となるはずです。そこから、単なる「モノづくり」労働者ではなく、「匠」なる存在が生まれてくるのだと見ると、高付加価値製品を生み出す力をまさに「匠」は持っていると言えます。

 縄文以来の長い日本の「モノづくり」文化は、奴隷が担った不承不承の仕事ではなく(中にはそういう仕事もあったかもしれませんが)、働く人が仕事そのものに打ち込んでいるときに与えられる数々のインスピレーションによって、創意工夫の累積の中で素晴らしい商品が生み出されてきたものであると見なければならないでしょう。

 「仕事の奴隷」というのは、仕事に振り回され、仕事の方が人間の主人になっているということであり、「仕事の主人」は人間の方が仕事の主人として振舞っているという意味です。
 「匠」はどこまでも人間が主人であり、それゆえ、仕事に誇りを持っており、仕事を愛しており、仕事に疲れるといったこともなく、前向きですから、そのお返しとして「モノ(商品)」の方から「もう少しこうしてください、きっと売れますよ」というささやきの声をもらっているのです。

 「高付加価」というのは、実に、「匠の精神」が生み出すものです。「匠の技」「匠の精神」がある限り、日本は沈没することはありません。