夫婦愛を育む 60
「心の準備なんかなくていいから…」

ナビゲーター:橘 幸世

 金元弼(キム・ウォンピル)先生との思い出を続けて書きたいと思います。

 1990年代半ば、ヨーロッパにいた時、先生が私たちの教会を訪れてくださいました。
 そこには先生をこよなく敬愛している現地メンバーがいました。奥さまによれば、彼は毎年年末に水行で身を清めてから先生に韓国語で手紙を書いていたそうです。

 兄弟姉妹が集まり、先生の講話を車座になって聴く際、彼が先生の通訳を志願しました。
 先生はソファーに座られ、隣のソファーに座るよう促されましたが、彼は恐れ多いと、先生の足元、じゅうたん敷の床に正座して訳し始めます。けれど、その日彼の体調が芳しくなく、代役として私に声が掛かりました。

 その時の私は葛藤の最中にあり、気持ちの面であまり元気ではありませんでした。お父様の一番弟子のかたの前に爽やかに出られる状態ではありません。
 「前に出て訳しなさい」と言われたのに対し、「心の準備ができていません」と率直に申し上げました(言えちゃうところが末っ子の特権かもしれません)。
 今になって振り返ると、これが私がウォンピル先生に発した最初の言葉です。

 すると、「心の準備なんかなくていいから、ただ隣に座って私の言うことを訳せばいいんだよ」と手招きされるので、私は先生の隣のソファーに遠慮せず座り、先生が日本語で語られるのを英語にして皆に伝えました。一言も訳し漏らすまいと丁寧にしたので、先生も現地メンバーも喜んでくれました。

金元弼先生

 役目を果たせて安堵するとともに、それは私にとって大切な思い出となりました。
 滅多にない貴重な機会、どうせなら信仰に燃えて喜んでいる時にお会いしたい(いい自分を見せたい)のが人情かと思います。
 かと言って、元気でもないのに無理して元気なそぶりをするのもつらいものです。そのままの自分を出して、そのまま受け止めていただいた。人として信仰者としての開きを超えた、こんな自然体の関わり方が、家族ならではなのかもしれません。

 この思い出を書いている時、丹波新聞の3月6日付電子記事が目に留まりました。「佛教大学小学生俳句大賞」の特別賞を受賞した句が紹介されていたのです。

 「母の日に なんにもしない それがうち」

 詠んだのは小学4年生の女の子。正直に、何のてらいもなく「それがうち」と言い切っている点が評価されて、応募総数21,168句の中から6位に相当する特別賞に選ばれました。

 他の家と比べることもなく、うちはうちでいい、という素直な気持ちを出せる彼女は、なんと自由なのでしょう。安心感と信頼感が伝わってきますね。何もしなくてもお母さんには感謝している、そんな彼女を育んだ自然体家族。増えますように。