シリーズ聖歌 24
聖歌 第一部 28番「わが身の十字架」

 皆さまのご要望にお応えして、Blessed Lifeからも世界平和統一家庭連合の「聖歌」をご視聴いただけるようになりました。第一部1番から順にご紹介してまいります。

 今回は、聖歌の第一部28番「わが身の十字架」をお届けします。

 作詞者の柳光烈先生は詩人で、韓国統一教会の文化部長を長年務めたかたです。作曲者の金斗琓氏は既成教会の有名な作曲家で、その弟子を通じて作曲を依頼することができたのです。

 1959828日の朝、柳先生はたとえようもなく神が慕わしく、心情的に近く感じられ、熱い感慨が胸にあふれて「お父様に何か申し上げたい。何か書きたい」という思いがしたそうです。その思いを書き留めようとして紙に向かうと、言葉が後から後からわきだしてくるので、感動しつつ泣きながら書いたのがこの詩なのです。

 そのとき胸に込み上げるものは「最後まで行かなければならない。いくら教会にいたとしても、最後まで行かなければ何にもならない」という思いだったのです。

 そのころを思い出しながら、柳先生は次のように語っています。

 「これは長年、み旨の経験を積んだ人ならだれでも、わが気持ちとして実感できるでしょう。いくら手柄を立てても、いくら苦労をした実績があっても、最後まで行かなければ何の意味もないということになる、そんな気持ちを強く表した詩です。だから、長年歩んできた人を、また、さらにさらに前へと激励する内容の歌です。迫害や、風当たりの強い時代であり、お父様も非常に気をつけながら兄弟を育てていかれた苦しいときでした。
 私たちは果てのない道をいつまでも歩くような気持ちが、いくらかあるのです。でも、結局は必ず終わりがくるのです。力を尽くして歩めば、必ず成就する日がきます。歩きつくしたとき、行き着くのです」(参照:『聖歌のめぐみ』)

 他の聖歌もYouTubeU-ONE TVチャンネルの再生リスト「聖歌」からご視聴いただけます。