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幸せを引き寄せる 2
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 アプリで読む光言社書籍シリーズ第7弾、『幸せを引き寄せる〜「愛天愛人愛国」家庭生活講座』を毎週木曜日配信(予定)でお届けしています。なお、この記事に記載されている「自叙伝『平和を愛する世界人として』」のページ数は創芸社出版のものです。

浅川 勇男・著

(光言社・刊『幸せを引き寄せる〜「愛天愛人愛国」家庭生活講座』より)

第一章 天を愛する生活

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 幸せを引き寄せるためにはどうしたらよいでしょうか。運のいい人とお付き合いすればいいのです。世の中には、いわゆる強運の持ち主と言われる人がいます。

 日露戦争の勝敗を決めた歴史的決戦の中で、日本海海戦があります。日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅した、世界海戦史上でも有名な海戦です。連合艦隊司令長官であった東郷平八郎は、海軍大臣、山本権兵衛から人事異動されましたが、その理由の一つが、彼が強運の持ち主であったからだと言われます。

 幸せを引き寄せるためには、運勢のある人と絆(きずな)を結べばいいのです。つきに恵まれないと自覚している人はなおさらです。運の悪い人が、もっと運の悪い人と関われば、より強い不運を引き寄せて、共倒れになりかねません。

 運勢の中で最も強い運勢が天運です。神様の愛の働きです。天運は春風のようなものです。春風が吹くと、凍てついた土地に草花の芽が吹き出し、花を咲かせます。

 天運は世界を巡行して、奇跡的な文化文明の花を咲かせてきたのです。古代のローマ帝国や近世のイギリスがそうです。小さな半島や島国が、海洋を制覇して、世界帝国に成長しました。アメリカもそうです。文明なき不毛の地であったアメリカ大陸が、瞬く間に、世界最大の国家に大飛躍しました。

 天運は国家ばかりに働くわけではありません。

 世界平和と人類の幸福のために、自分を犠牲にして献身する人に働くのです。なぜなら、神様にとって、人類はわが子であり、人類同士は兄弟姉妹だからです。家族、兄弟のために、犠牲を惜しまず献身する子供に、神様は愛と力を注ぐのです。それが、天運なのです。

 文鮮明先生はまさに天運を持たれた方です。

 幼少年時代から、隣人への愛があふれて、貧しい人がいれば、切なくなって、お米などを施していました。

 「ご飯を食べる時、ご飯を食べられない人がそこにいれば、胸が痛く、喉が詰まって、スプーンを持つ手がそのまま止まってしまいます」(文鮮明自叙伝『平和を愛する世界人として』、22ページ。以後、自叙伝)

 そして、15歳のとき、涙の祈りの中でイエス様から、「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天のみ旨に対する特別な使命を果たしなさい」と天命を受けたのです。

 それ以後、93歳で聖和(ソンファ)(他界)されるまで、全生涯を神様と人類の幸福のために捧げられました。

 「日本の植民統治時代と北朝鮮の共産政権、大韓民国の李承晩(イ スンマン)政権、そしてアメリカで、生涯に6回も主権と国境を超えて、無実の罪で牢屋暮らしの苦しみを経て、肉が削られ血が流れる痛みを味わいました。しかし今、私の心の中には小さな傷一つ残ってはいません。真(まこと)の愛の前にあっては、傷など何でもないのです。真の愛の前にあっては、怨讐(おんしゅう)さえも跡形もなく溶けてなくなるのです」(自叙伝、5ページ)

 文鮮明先生がいかに天運のある方なのかを示すエピソードがあります。

 その生涯は多くの苦難に満ちていましたが、絶体絶命の窮地に立たされたのが、北朝鮮の興南(フンナム)監獄収容所でした。

 「囚人の半数が一年以内に死んでいきます。死体を入れた棺桶が毎日のように監獄の裏門に運ばれていくのを見つめなければなりませんでした。全身のあぶらが一滴残らずなくなるような仕事をさせられて、死んで初めて門の外に出て行くことができたのです」(自叙伝、109ページ)

 まさに地獄のような収容所だったのです。死人の口の中に残ったご飯まで取り出して食べた囚人もいたのです。その中でも、文鮮明先生は、握り飯の半分を同僚たちに与え、残りの半分だけを食べたのです。

 今日でさえ、北朝鮮から脱出するのは容易ではありません。ましてや、監視の厳しい監獄の中では、脱出は絶対できません。しかし、文鮮明先生には天運がありました。

 朝鮮戦争が始まり、国連軍が興南を攻撃すると、看守たちは囚人を次々に処刑していきました。ついに、文鮮明先生の番になったとき、奇跡が起こったのです。

 「処刑を翌日に控えた1950年10月13日、38度線を越えた韓国軍と国連軍が興南に押し上がってきたのです。米空軍のB29爆撃機は14日、興南肥料工場とその付近一帯に激しい爆撃を加え、興南全体が火の海になるほど梅雨の雨のように爆弾を降り注ぎました。危険を察知した看守たちは、その前に逃げ出していました。ついに私たちを囲んでいた監獄の門が開かれました。夜中の2時ごろ、私は他の囚人たちと共に、堂々と歩いて興南監獄を出てきました」(自叙伝、116ページ)

 文鮮明先生は神様の手によって牢獄を解放されたのです。天運が命を守ったのです。その後、数十年たって文鮮明先生は驚天動地の行動をしました。

 当時、北朝鮮を主導した金日成(キム イルソン)主席は、文鮮明先生にとって最大の怨讐でした。

 ところが、1991年12月、緊張状態にあった朝鮮半島の平和のために、文鮮明先生は、怨讐を超えて金日成と興南で会談したのです。二人はまるで兄弟のように打ち解けて歓談したといわれます。

 「金主席と私は、手をつないで廊下を歩いていき、記念写真を撮って別れました。私を送り出した後、金主席は『文総裁という人は本当に立派だ。一生の間に大勢の人に会ってみたが、あのような人はいなかった。度胸もあり、情にあふれた人だ。親近感を覚えて気分が良くなり、ずっと一緒にいたいと思った。後でまた会いたい。私が死んだ後に南北の間で議論することが生じれば、必ず文総裁を訪ねなさい』と金正日(キム ヂョンイル)書記に何度も繰り返し伝えたそうですから、お互いにかなり通じ合ったようです」(自叙伝、268、269ページ)

 あらゆる苦難を乗り越えて、怨讐を愛し、世界平和のために生涯を捧げた文鮮明先生は、天運、幸運を引き寄せる方です。それゆえ、文鮮明先生と交流すれば、天運を授かることができるのです。

 では、どうしたらそれが可能なのでしょうか。

 私たちは慕っている父母などの写真を携帯したり、また、家に飾っておきます。いつも、一緒にいたいからです。あるいは、お守り袋を身に付けて事故などの災難から守ろうとします。

 それゆえ、天運のある文鮮明先生を慕って、お写真を携帯することで、天運の〝おすそ分け〟を頂けるのです。家にお写真を奉安すれば、文鮮明先生をお迎えすることとなり、天運によって守護されるのです。

 文鮮明先生はお写真について、次のように語られています。

 「先生(文鮮明先生)の写真を持ち歩けば、どんな苦難に遭っても、無事に保護してもらえるでしょう」(『愛天愛人愛国』、29ページ)(続く)

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 次回は、「あいさつ」をお届けします。