愛の知恵袋 54
手づくりの家族

(APTF『真の家庭』164号[2012年6月]より)

松本雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

 山々の緑が美しい季節になってきました。さて、最近感じることは、日本のどこに行っても、あちこちで”手づくり”という文字が目に入ることです。

 ”手打ちそば””手ごねハンバーグ””手彫り工芸品””手もみ茶””手漉き和紙””手織りネクタイ””手づくり弁当”・・・。

 手づくりということは、「機械で生産したのではなく、人間の手で作ったもの」ということですが、言わんとするところは、「まごころを込めて作ったものですよ」ということなのでしょう。

胸で感じるおいしさ

 何でも機械で製造される時代になったせいか、”手づくり”という言葉に、私たちはある種の郷愁を感じるのかもしれません。

 確かに、機械で作られたものと人間が手間をかけて作ったものとでは、目で見ただけでは分かりにくいのですが、何かどこかに違いを感じるのは事実です。

 コンビニのおにぎりも、今では高級米が使用され、緻密に研究された製法で作られているので結構おいしいものです。しかし、手で握ったおにぎりには、何かしら違ったおいしさがあります。

 私も幼い頃、母が作ってくれたおにぎりの味はいまだに忘れられません。あれは、おかかも昆布も明太子もない、ただ塩をまぶしただけのおにぎりでしたが、このうえなくおいしかったのです。

 もしかしたら、おいしさには、口で感じるおいしさとは別に、”胸で感じるおいしさ”もあるのかもしれません。

オートメーション家族

 実は、同じようなことを「家庭」というものの中に見ることができます。私たちが結婚し子供を育てながら、家族との情の関係を築き上げていく過程の中で、同じような違いを感じることがあるのです。

 最近は、家庭生活が全て、便利さ、快適さ、能率性を追求するようになりました。母親の場合、料理も既製のお総菜やレトルト食品を使えばそれなりの味で、実に便利に短時間で準備できます。子供の教育も保育園、幼稚園、塾へと託します。空いた時間ができれば自分のやりたい仕事や趣味などに振り当てることができます。

 一方、父親の家族サービスもだんだん即席化、機械化しています。子供たちが欲しがるゲーム機やパソコンをさっさと買い与えます。すると、子供たちは自分一人で時間を過ごすので、「一緒に遊んでくれ」などと言ってこなくなり、その結果、父親も自分で好きな時間を過ごすことができます。

 また、家族で遊びに出かけるにしても、”○○ランド”とか、ゲームセンターなどに連れて行きます。そこでは、お金さえ払えばシステマチックに楽しませてくれるようにセットされています。これらはある意味で”既製品の娯楽”と言えるでしょう。私はこのようなスタイルで家庭を築いていこうとする家族を、”オートメーション家族”と呼んでいます。いま、日本ではこのような家族が非常に増えています。全てが手っ取り早くて便利なのですが、果たして、これだけで本当に”家族の絆”が育ってくれるのでしょうか。そうとは言えないということを、いま社会で起きている、多くの深刻な精神的諸問題が教えてくれています。

良き家族は”手づくり”でつくられる

 実は、家庭も”手づくり”が大事なのです。家族の情というものが育つためには、子供が父親と一緒に何かをする、母親と一緒に何かをする…といった”ふれ合い的要素”が必要なのです。

 父親なら、公園に行って、一緒にかけっこをする、サッカーをする、キャッチボールをする。家で動物や熱帯魚を一緒に育てる。海に行って一緒に貝をとる、魚を釣る。山へ行って一緒に山歩きをしたり山菜を採ったりする。

 母親なら、一緒におやつを作ったり、料理をしたりする。洗濯物を干したり、たたんだりする。園芸が好きなら、庭で一緒に野菜を作ったり、ベランダで花を育てたりする。

 また、家族みんなで実家に行って、おじいちゃんやおばあちゃんとすごしたり、親戚の家族と交流したりする。

共感体験が家族の絆に

 このように、”一緒に何かをする”ことによって、”心と体で情感を共有する”という共感体験こそが、家族間の情操の深化になくてはならない要素だと思います。

 親子で一緒に何かをしながら汗を流す、笑いを共にする。そんな中から家族としての情感が心に染み込んでいくのではないでしょうか。

 もちろん、最新のテーマパークや遊園地も楽しいものです。ただ、「良き家庭づくり」、すなわち「家族の絆づくり」ということを考えるとき、便利な”既製品の娯楽”だけに頼るのではなく、素朴な”手づくり”で親と子が楽しむという時間を作ることが大切だと思います。