共産主義の新しいカタチ 123

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

根底に唯物還元主義の無機的世界観
ヘルベルト・マルクーゼ(下)①

▲ヘルベルト・マルクーゼ

 徳永恂著『フランクフルト学派の展開』によれば、人類は生の本能(エロス)が無制限に貪ろうとする快楽原則を、現実的には抑圧されること(現実原則)によって「文明」は発展してきた、という文明観を、フロイトが唱えました。

 これは厳密には、抑圧そのものが「悪」ではなく、文明自体を否定してもいません。フロイトは「抑圧」や「負荷」によって文明や文化が生まれる契機となる、と見ているのです。

 これは重要で、抑圧や負荷、ストレスさえなくなれば、全ては解決するかという問題です。ライヒなどフロイト左派の場合、ストレスを発生させるものさえ除去すればよい、性抑圧さえなくなれば、全て円満に解決すると見たのです。

 一方、マルクス流に解釈すると、抑圧するもの(権力)は打倒・殲滅されるべきもので、暴力革命で転覆することにより被抑圧者が自らその位置に立つことで克服できるとしました。

 しかしフロイトはそう考えず、「本能の抑圧」→「支配のための労働」→「抑圧的文明」という「ペシミスティック(悲観的)なコース」を考えました。文明や文化を「抑圧された結果生じた生成物」と見たものの、それを全否定はせず、フロイト自身が単純な「性解放」を唱えなかった所以(ゆえん)です。

 ところがマルクーゼは「フロイトの文明論」を「正統的に評価し敷衍(ふえん)する」ことを標榜はしますが、既にフロムについてと同様、「フロイトからの逸脱」を意味しています。

 つまり、「ペシミスティックなコース」を描くフロイトに対し、マルクーゼは「本能の解放」→「社会の活動」→「抑圧なき文明」という「オプティミスティックなユートピアのコース」というわけです。

 ところで「快楽原則」を抑圧する「現実原則」のうち、マルクーゼが最も注目したのは、「労働=苦しみ」ということでした。確かにマルクスにしろ、キリスト教的西欧文明にしろ「労働=苦痛」という観念に貫かれていました。これを「喜びかつ遊びであるような労働」に変えることはユートピア的発想」といえます。

労働と遊びの統一は形而上学的
 ところが、これはすぐれて価値観や人生観(宗教観)の問題といえるのです。この点に言及し論じることは、まさに唯物論や近代からポストモダンに至る諸思想が排除し無視してきた「形而上学」の領野に踏み込むことを意味します。

 「学際的唯物論」を標榜したフランクフルト学派も、この例に漏れず、形而上学を否定します。

 「労働と遊び(芸術)の一致」とは、マルクーゼの専売特許ではありません。飢饉や冷害による凶作に悩まされた農村に「文化芸術」を起こそうと「羅須地人協会」活動を行った宮沢賢治、農奴階級を啓蒙しようとインテリ階層が農村へ入っていく帝政ロシアの「ナロードニキ運動」などの試みでした。しかしこれは「下部構造」重視のマルクス主義とは正反対の「精神変革運動」でした。

(続く)

「思想新聞」2026年8月1日号より

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