共産主義の新しいカタチ 108

 現代社会に忍び寄る“暴力によらざる革命”、「文化マルクス主義」とは一体何なのか?
 国際勝共連合の機関紙『思想新聞』連載の「文化マルクス主義の群像〜共産主義の新しいカタチ〜」を毎週水曜日配信(予定)でお届けします。(一部、編集部による加筆・修正あり)

憲法25条と生活権=シビル・ミニマム
松下圭一の構造改革理論(下)①

 わが国の構造改革路線で代表的なイデオローグ(理論家)となった松下圭一による政策論が、民主党リベラル政権において次々に登場し、国民から「ダメ出し」をくらったことを検証することで、反面教師にしなければなりません。

 前回、「構造改革路線」の「直系」ともいえる松下圭一・法政大名誉教授の理論と日本国憲法との関わりに触れました。前回の「参考文献」で紹介した嶋田陽一氏の論稿「民主党が奉戴する“松下圭一イズム”」では、「民主党の『政策集』とは、《松下圭一+α》と言ってよい」とし、「行政府を『カムフラージュされた一党独裁』を標榜する党(民主党=“第二共産党”)の下部組織に落とす“反憲法の組織”であって、革命的“国家機構いじり”の本意は、松下圭一の革命理論に精通すれば、ほとんどが氷塊的に誰にでもわかる」と述べていました。

 嶋田氏は、「松下圭一とは、多くの民主党議員にとって、共産党色を隠したマルクス抜きの『透明な共産革命』を理論指導する大師匠」と断じますが、概ね正しい認識といえましょう。

9条護憲論が色褪せて相対的に脚光
 さて、そうした松下理論のうちでも、「市民自治の憲法理論」を振りかざしたように、現行憲法についてのスタンスを精査する必要があります。

 リベラル〜極左までの左翼全般をカバーする憲法についての考え方においては、「9条の会」の存在のように、9条を金科玉条の「人類の宝」のごとく崇め奉る傾向が「世論」を制してきたように見えます。

 しかしこうした「オールド左翼」の旧態依然的発想は、総選挙の結果を見る限り、少数派勢力になってきました。憲法は時代にあったものに変えられてしかるべきだ、というのが世論の主流となってきたと言えそうです。なぜなら、憲法が60数年も一字一句変えられなかった弊害が、9条に限らず、他の条文にも及んでおり、多くの問題点がはらみ、そのことが、日本社会のダイナミックな変革を阻む要因となっていることを、もはや国民が常識として持つに至ったからだといえるのではないでしょうか。

 ところで、松下圭一氏の理論に立ち戻ってみます。松下理論は教条的な「9条第一主義」に立つよりも、その独自的な「新しさ」は、前回のチャート「現代民主政治の系譜と普遍基本法原理」(下図)に表されたように、「社会権」を強調したことにあるといえます。

 すなわち、それが「憲法25条問題」です。同25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」というもので、松下理論のキーワードの一つである「シビル・ミニマム」の根拠とされる条文なのです。

 元々この条文は、GHQ(連合国軍総司令部)民政局の手による「マッカーサー草案」とこれに基づく日本政府案にはなかったものでしたが、憲法審議の過程において鈴木安蔵(フランクフルト学派に連なる福本和夫の弟子)らの「憲法研究会」案を下に、社会党議員の提案で今日の憲法に加えられたものだ、と松下圭一氏は『政治・行政の考え方』で「誇らしげ」に述べています。

 しかし、この条文は永らく、「お飾り」(松下氏に倣えば「ワイマール憲法をモデルとしたアクセサリ」)的なものと見なされ、松下氏は以下のように述べています。

 「今日の若い世代の方々は想像もできないでしょうが、当時、左派知識人の多くは農村型社会を前提に置いた日本型企業労働組合中心の革命を想定しただけでなく、とくに後発国型コミンテルン理論を反映して、社会保障などは労働者階級の『買収』で、社会主義運動の『堕落』となると考えていました。他方、憲法学者たちも、農村型社会の発想にとどまるため、当時は保守系・革新系を問わず労働権には関心をもちますが、この二五条は理念としてのたんなる宣言条項とみなしています。

 この二五条が、前期的国家思恵から脱して、本来の権利性をもつようになるのは、日本が都市型社会に入りはじめ、生活権の政策・制度開発にとりくんだ一九六〇年代以降の市民活動、とくにシビル・ミニマムを掲げた革新自治体の群生からです」(『政治・行政の考え方』岩波新書)

(続く)

「思想新聞」2026年5月1日号より

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