2026.04.26 17:00

日本人のこころ 109
モラエス『徳島の盆踊り』
ジャーナリスト 高嶋 久
ハーンを文学の師に
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)より1年早い明治22年(1889)に初来日し、ハーンを文学の師として、日本の風俗や文化をポルトガルの新聞に発表したのがヴェンセスラウ・デ・モラエスです。モラエスは明治32年、日本にポルトガル領事館が開設されると、初代在神戸副領事として赴任しました。
モラエスは1854年にポルトガルの首都リスボンで生まれ、海軍士官になり、モザンビークやマカオでの勤務を経て、軍務で来日します。日本の自然に魅了されたモラエスは、姉のエミリアに「僕はいま美しい国、日本に来ている。この長崎にいて、この世にたぐいのないこの木陰で余生を送りたい」(花野富蔵訳『定本モラエス全集』集英社)と書き送っています。
神戸に着いたモラエスは、居留地のホテルに泊まった翌朝、人力車で「布引の滝」を訪れます。新神戸駅から500メートルのところにある布引の滝は日本三大神滝の一つ。数学や物理学を学び、語学に堪能だったモラエスは、それ以上に自然や生物を愛していました。

モラエスの来日は、マカオで使う大砲を日本で買い付けるためだったのですが、彼に注目したのは日本海軍の方でした。前年11月、日本がフランスで建造し、神戸に向けて回航中に濃霧の瀬戸内海でイギリスの商船と衝突して沈没した砲艦千島が、モラエスがモザンビークで乗船していた砲艦と同型だったからです。裁判で、衝突の原因はイギリス商船にあると主張した日本は、有利な証言をモラエスから得ようとします。会談後の宴会で、三味線に合わせた地唄を聞いたモラエスは、その物悲しい調子がポルトガルの民族歌謡「ファド」に似ていると感じます。
モラエスは、衝突事故で生じた砲艦千島の破損規模から、力学的にイギリス商船の衝突時の速度を算出し、濃霧にもかかわらず8ノットの速度を落とさずに航行していたとの、日本側にとって有利な証言を提出しました。
モラエスは、明治の日本でイギリスやフランス、ドイツが影響力を強めるのに比べ、衰退気味だった母国のため懸命に働きます。その傍ら、神戸の山歩きを楽しみ、エッセイをポルトガルの新聞に紹介し、人気を博したのです。後にそれらを収録した『日本通信』全6冊が刊行されますが、ポルトガル語なのでハーンほどには世界に知られませんでした。
ある日の宴席で芸者のおよね(福本ヨネ)に出会ったモラエスは、彼女の清楚な美しさと上品な振る舞いに魅了されます。その後、芸者をやめて徳島に帰り、餅屋で働いていたおよねを訪ねたモラエスは、反対する親戚を説得。明治33年(1900)に生田神社で結婚式を挙げます。モラエス46歳、およね25歳でした。
美しく立ち居振る舞いが上品なおよねは、領事夫人として神戸の外国人の間で評判になり、モラエスを大いに助けました。およねと共に過ごした日々が、モラエスの最も幸福な時代で、妻を通して日本をより深く理解するようになったのは、ハーンと同じです。
しかし、結婚生活13年目の明治45年(1912)、およねは病死し、モラエスは彼女の墓を、生まれ故郷の徳島の潮音寺に建てました。そして、帰国すれば海軍の年金がもらえるのにそれを放棄し、日本に永住する道を選びます。墓守りをしながら文筆に専念したのです。およねとの日々を回想しながら執筆に打ち込んだモラエスは、孤独ながら充実した晩年を送り、昭和4年(1929)、75歳で徳島の土になりました。
死者崇拝の日本人の信仰
日本滞在が長くなるにつれ、カトリックから離れ仏教徒になったモラエスの信仰について、数学者で作家の藤原正彦・お茶の水女子大学名誉教授は、父新田次郎との共著『孤愁(サウダーデ)』(文春文庫)で、「仏教の慈悲、輪廻、因果応報、諸行無常などに神道を加えた祭壇に、サウダーデを祀った新しい宗教であった。日本とポルトガルを融合させた新しい宗教であった」と書いています。インタビューで藤原氏は「早逝した妻・およねが眠る徳島の地で、墓守りをするように亡くなったモラエスの《サウダーデ》を書き切りたい……それが父の執筆の強い動機だったのではないか」とも語っています。
モラエスは『徳島の盆踊り』(講談社学術文庫)に「死者崇拝は日本では実に厳粛に、真摯に、恭しく行われるので、迷信というようなありきたりの呼び方はできない。他の思想や信仰に染まった、外からやって来た異国人にも畏敬の念を抱かせる信仰と呼ぶべきである」と書いています。
モラエスは徳島で初めて私小説的な『おヨネとコハル』を書き反響を呼びました。コハルはおよねの姉の娘で、徳島に来たモラエスの世話をしていましたが、結核で亡くなります。愛する人たちの死を描いた一作が、文学者としてのモラエスの名を高めました。
徳島市の阿波おどり会館に近い春日神社の横に、モラエスとおよねがよく立ち寄った焼き餅屋「和田乃屋」があります。「二人は店の横道を滝に沿って登り、三重の塔にお参りしていた」と女主人が教えてくれました。滝が滴る庭には、モラエスが「およねさんのようだ」と言ったキバナアマの小さい黄色い花がたくさん咲いていました。