2026.04.24 22:00

愛の知恵袋 209
今日できることを 明日まで延ばさない
松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)
フットワークの軽い人でありたい

夕食が終わり、私の役目である食器洗いも終えた後、出かける用意をして、「出したいものがあるので郵便局に行ってくる」と伝えると、娘が怪訝な顔をして、「ええっ、こんな時間に? 明日にしたら?」と言います。それでも私は「本局ならまだやっているから」と返して出て行きます。
また、ひどく寒い日、猛暑の日、雨が降っている日などに、「ちょっと、買い物に行ってくる」と言って出かけようとすると、「え~、こんな日に?」と娘が言います。
わが家ではこうしたやり取りがよくあります。娘は私の体調を心配し、無理をしないようにという気持ちで言ってくれているのでしょう。それは分かっていますが、「今日できることは、今日のうちにやる」のが私の信条なので、少し無理をしてでもやります。「お父さんはフットワークが軽いね!」とよく言われます。私の性分なのかもしれませんが、おっとり型の娘からすると、「なんで?」と思うらしいのです。
今日のことを明日まで延ばさない
私がなぜそうしたいと思うのかについては、いくつかの理由があります。
一つは、長い人生の中で、「そのうちに…」と思って先送りしたために、あとで「しまった、あの時やっておけばよかった」と後悔したことが多々あるからです。
そんな経験から、私は「明日でなければならないという理由がない限り、今日できることは今日のうちにやる」と決めています。私が小学生のとき、学校では毎週“今週の努力目標”というのがあって、「きょうのことを明日まで延ばさない」という標語がありました。今でも、その言葉を時々思い出しては自分に言い聞かせています。
二つ目の理由は、「人生は二度とない。そして今日という日は二度とない」と考えるからです。人は誰でも天から与えられた使命があり、それを限られた寿命の中で成しとげるために生きている。それゆえに、“今日”という一日を、何もしないで終わるのは申し訳ないと思うのです。ですから、些細な事であっても、何か一つでも、「今日はこれをやった」と思えることをして、一日を終わりたいのです。
三つ目の理由は、いつお迎えが来るか分からないからです。歳をとれば、誰でも年々、体力と気力が衰えます。体が重くなり、疲れはひどくなります。そして、「私は果たしてあと何年動けるだろうか…」と考えます。私の身近にも、思わぬ事故や病気で、介護が必要になった方、認知症になった方、長期入院になった方、他界してしまった方がたくさんいます。目が見える、耳が聞こえる、手が動く、足で歩ける、頭が働く、言葉が話せる…若い人にはごく当たり前のことですが、これがどれほどありがたいことであるのか。歳をとってみるとよくわかります。ですから、私は毎朝起きると、自分がまだ体が動き、頭が働くことが分かるたびに、「神様、ありがとうございます!」と感謝します。そう思うと、一日一日がとても貴重なものなので、無駄にしてはいけないという気持ちになります。何か一つでも、人の役に立てることができれば嬉しいのです。
いつかではなく、今日のうちに伝えよう
日常の私たちは、単純に「寝ればまた明日が来る」と思っていますが、いつ、何が起きるかは分かりません。明日は来ないかもしれないのです。
自分にも、家族にも、友人にも、いつ突然の別れが来るかもしれません。そんなことをあらためて考えさせてくれた、一つの詩があります。
アメリカの詩人 ノーマ・コーネット・マレックさんが、10歳で亡くなった息子のサムエル君にささげた詩です。(原題は「Tomorrow Never Comes」)
「最後だとわかっていたなら」
(抜粋)
あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて 神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして そしてまた もう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたは 言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら 一言だけでもいい… 「あなたを愛してる」と わたしは伝えただろう
(参考:ノーマ・コーネット・マレック著、佐川睦訳 「最後だとわかっていたなら」サンクチュアリ出版)