自叙伝書写 感動体験集

第43回 両親が書写で祝福式に参加するまでに

(東京都杉並区、女性)

 母は小さな一軒家に住み、明治、大正生まれの舅姑(きゅうこ)にひたすら尽くしてきた人です。生真面目な母は、父と夫婦らしい時間は過ごせなかったと思います。

 母は些細(ささい)なことで父への恨みが出て、口うるさく父に接していました。そしてそれに耐えられずに怒鳴ってしまう父の姿がありました。

 2年前に母を苦労から解放させてあげたいと思い、書写を勧めました。
 宗教への不信感いっぱいの顔で書写会場に入り、端っこの目立たない席に渋々座りました。

 奉納伝授が始まると、母は「お母さんは真面目なんだから、もらったらやらないといけなくなっちゃうから受け取らないからね」と言い張っていました。せっかく来たのにと焦りましたが、頑張って笑顔をつくり、「せっかく来たんだし、やらなくてもいいから、もらって帰ろうね」と言いながら、何とか受け取ってもらいました。

 生真面目な母は、受け取るとやり始めてくれました。

写真はイメージです

 一度来てもらうと誘いやすくなり、母の目的は私に会うためでしたが、毎回書写会に参加してくれるようになりました。茨城から朝早く来るので、いつも講演中はウトウトしてばかりでした。そして、尽くしても感謝しない父や周囲の人への愚痴を話し続けました。

 私は、そんな母をもどかしく、諭したくなる気持ちを抑えて、み言(文鮮明師の教え)を分かってもらうために愛そうと努力しました。とにかく話を聞き、頑張っている母を称賛しました。

 書写会場で皆さんが声を掛けてくれました。教会の人に触れて、母の教会へのイメージが変わっていきました。ウトウトしながらも、講話に対しても「いい話だったね」とか、「悪い人ばかりじゃないね」とか、「歌は感動するね」とか、良い印象を言ってくれるようになっていきました。

 そして今度は、父に書写を勧めることにしました。

 母は「言うだけ言ってみたらいいけど、お父さんは絶対やらないよ」と言いました。父に書写を勧めてみると、案の定、父はあっさり「やらない」と断りましたが、そこで信じられない事が起きました。

 母が私の横から「書写をやったら気持ちが落ち着いていいよ。やったらいいよ」と父に勧めてくれたのです。私が一生懸命書写の証しを伝えても、そっけない反応しか返してくれなかった母が、自ら書写の良さを父に語って勧めてくれたのでびっくりしました。そして、父もあっさり、「じゃあ」と言って受け取ってくれました。母の話だと、今では母以上に一生懸命やっているそうです。

 書写に両親がつながり、教会(世界平和統一家庭連合)のイメージも好転し、ついに両親は娘と一緒に祝福を受けることになりました。最初は拒んでいた両親でしたが、それでも私は「永遠に一緒にいたいんだ」と言い続けました。すると、母が「もう娘の言うとおりにしようよ。天国に行けるんだからいいじゃない」と、父に言ってくれました。すると、なんと父の批判がピタッと止まり、「分かった」と言って受け入れてくれたのです。

 教会については何も知らない、むしろ批判的だった両親が手を重ね合わせて祝祷を受けている姿に、ただただ天の許しと愛を感じて感動しました。

 両親の祝福に取り組む中で両親と私が向き合い、両親同士も向き合うことができ、お互いの関係が良い方向に改善されたことを感じます。祝福が私たちの全てを解決させる道だと実感させていただきました。

 教会長(世界平和統一家庭連合支部教会の責任者)と一緒にお茶をする時間がありました。 家で両親と3人でいる時の雰囲気とは違い、とても和やかな雰囲気でお互い素直に話せたのは、ここが教会で神様をお迎えしているからだと感じました。

 こんな私を「自慢の娘です」と言う親に、今まではあきれていましたが、こんな私を受け入れてくれていることに感謝でき、私も「自慢の親です」と言うことができました。親と心情の通い合う時間を持てたことも祝福の大きな恩恵でした。