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幸福への「処方箋」15
第二章 幸福実現への障害発生――「堕落論」
肉的堕落

 アプリで読む光言社書籍シリーズ第4弾、『幸福への「処方箋」~統一原理のやさしい理解』を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。

野村 健二(統一思想研究院元院長)・著

(光言社・刊『幸福への「処方箋」~統一原理のやさしい理解』より)

肉的堕落
 さて、「エバは天使との霊的な堕落によって受けた良心の呵責(かしゃく)から来る恐怖心と、自分の原理的な相対者が天使長ではなくアダムであるということを悟る、新しい知恵とを受けるようになった」。「ここにおいて、エバは、今からでも自分の原理的な相対者であるアダムと一体となることにより、再び神の前に立ち、堕落によって生じてきた恐怖心から逃れたいというその思いから、アダムを誘惑するようになった」(講論110頁)。

 ここで重要なのは主体と対象という厳然たる秩序(主管性)だといわれます。アダムはエバの主体、エバは天使の主体であり、対象の立場にある者は自分の主体を通さなければ神との関係をもつことができない定めとなっており、この機能によって秩序が整然と保たれるようになるのだと統一原理は説きます。ルーシェルとエバとの姦淫が「死」を意味する犯罪となったのは、ルーシェルが主体、エバが対象の立場で相対基準を造成し授受作用をすることによって、その関係(主管性)を転倒させたからだといいます。主管性が転倒されれば、ひどい場合には神と人との相対基準が合わなくなり、その罪を償う条件(蕩減<とうげん>条件)を人間が立てない限り、神は力を及ぼすことができなくなり、神がいないのも同然の世界となります。これが「死ぬ」ということの意味だというのです。神の愛が及ばない世界で人間が幸福になれる道理がありません。したがって、幸福実現を願う者にとって、これはこの上なく重大な問題となります。

 エバがアダムを誘惑するようになった時、「不倫なる貞操関係によって天使長と一体となっていたエバは、アダムに対して、天使長の立場に立つようになった。したがって、神が愛するアダムは、エバの目には非常に美しく見えた」「今やエバは、アダムを通してしか神の前に出ることのできない立場にあったから、エバにとってアダムは、再び神の前に戻る望みを託し得る唯一の希望の対象であった」(講論110〜111頁)。

 そこで「エバは自分を誘惑した天使長と同じ立場で、アダムを誘惑した」(講論111頁)。

 すなわち、神の介在なしにエバが主体、アダムが対象の立場で相対基準を造成して授受することによって生じた非原理的な愛の力によって、アダムは創造本然の位置から離脱し、 「ついに彼らは肉的に不倫なる性関係を結ぶに至った」(講論111頁)。

 ここで更にもう一つ、「人間は原理をもって創造され、原理軌道によって生存するように創造された」が、「この原理の力よりも強い」のが、原理、非原理を問わず「愛の力」であることに注意する必要があります。

 “原理”と“愛”の力関係がそのようになっているのは、「神は原理によって創造された人間を、愛によって主管しなければならないので、その愛が愛らしく存在するためには、愛の力は、あくまでも、原理の力以上に強いものでなければならない」(講論113頁)からだと説いています。(続く)

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 次回は、第一部 第二章の「堕落性本性とは」をお届けします。