日本人のこころ 17
旭川~『氷点』三浦綾子

(APTF『真の家庭』238号[8月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

三浦綾子記念文学館

 5月に北海道の旭川市に行き、三浦綾子記念文学館を訪ねて高校時代のことを思い出したので、彼女の代表作『氷点』を取り上げることにします。朝日新聞の懸賞小説に入賞し、連載が始まった1964年12月は高校2年の時で、毎朝、心待ちに読んでいました。

 小説のテーマは「原罪」という、なじみのない言葉でした。三浦さんは後にエッセー「氷点を書き終えて」で次のように書いています。「私はこの作品で原罪を訴えたかった。登場人物のひとりひとりにそれはあるのであるが、端的に現すために少女陽子に問題のスポットをあてた。何の汚れもない、善意の塊のような少女陽子にそれを気づかせようとした」(日本基督教団「こころの友」1996年1月号)

 物語は、私立病院長の辻口啓造の妻夏枝が、来宅した若い眼科医の村井に言い寄られているうちに、川原で遊んでいた3歳の娘ルリ子が殺害されるところから始まります。人格者と思われながら嫉妬心の強い啓造は、ふと「汝の敵を愛せよ」という言葉を思い出し、娘が殺されている間に不倫をしていた妻に復讐するため、刑務所で自殺した犯人が残した娘を引き取り、そうとは知らない妻に育てさせたのです。

 陽子と名付けられた女の子は、素直で明るい子に育ちます。ところが小学1年生の時、啓造の日記を盗み見た夏枝は夫の企みを知ってしまいます。母の態度の変化は陽子にも感じられ、やがて3年生の時、うわさ話から自分がもらい子だと知ります。そんな妹を気遣う兄の徹は、大きくなったら陽子と結婚すると言って両親に叱られます。

 あり得ないような複雑な家庭環境ですが、陽子は自らの出生に疑問を感じつつも、芯の強い女性に育っていきます。大学生になった徹が自宅に連れてきた親友の北原との間に恋が芽生え、それが一層彼女を美しくするのですが、陽子が幸せになるのが耐え切れない夏枝は、ついに北原の前で陽子の出生の秘密を明かしてしまいます。

 絶望すると同時に、自分の存在が夏枝をはじめ家族をいかに苦しめてきたか、悪いことをしていないつもりでも、殺人犯である父から自分の血に流れている罪を知り、陽子は生きる希望を見失ってしまいます。そして、ルリ子が殺された川原で、睡眠薬を飲んで自殺しようとしたのです。

 プロテスタントのクリスチャンである三浦さんが小説を書くのは伝道のためで、通っていた旭川六条教会で洗礼を受けた人たちに、サイン入りの自著を贈っていたそうです。

写真はイメージです

 小説では、啓造が乗った洞爺丸が台風で遭難する場面で、年配の宣教師が自分の救命具を女性に渡し、自身は亡くなるくだりもあります。助かった啓造は後にそれを知り、自分の生き方を反省させられ、聖書を読み、教会に通うようになります。

 陽子も、北原からの手紙にあった「大いなるものの意志」という言葉から、神について思いめぐらすようになります。自らの中にある罪に気づくことによって、神への思いが芽生えるというのは、作者の意図した信仰への導きでしょう。さらに『続・氷点』では、神の「ゆるし」がテーマとなります。

原罪はあるのか?

 三浦綾子記念文学館は、『氷点』の舞台になった外国樹種見本林の中にあります。ファンの募金により1998年に開設されたもので、ボランティアらによって日常的にイベントが開かれています。

 文学館で売られていた「氷点マップ」を見ながら、翌朝、旭川市内を散歩しました。JR旭川駅近くの忠別川には、市民からの公募で「氷点橋」と名付けられた橋が架かっています。アイヌ語の「チゥ・ペッ」(波立つ川の意)に由来する石狩川の支流で、それが「日の川」と意訳されたのが、「旭川」の地名になったのだそうです。

 上川盆地に開かれた旭川は北の守りの旧陸軍第七師団と屯田兵が造った軍都で、その歴史は北鎮記念館を見学するとよく分かります。同館は防衛省が造った自衛隊の広報施設で、明治の開拓史をはじめ戦後の自衛隊から最近のPKO活動まで、若い自衛官が1時間かけ熱心に説明してくれます。旭川の歴史を知るにはお勧めの施設です。個人的には、西郷隆盛が書いた「旭」の書が印象的でした。屯田兵本部長の永山武四郎ら鹿児島の人たちが開拓に貢献したからです。

 人類始祖アダムとエバがヘビの誘惑に負け、神に背いたことにより生じた原罪は、全ての人に生まれながら内在しているという罪観は、キリスト教のとりわけ西方教会に特徴的だとされます。その信仰・思想はパウロやアウグスチヌスにより深められました。

 自身の罪や悪の自覚が信仰につながることから、教会では人々にまず罪深さを悟らせようとします。これは、私が祖母に連れて行かれたお寺でも同じで、地獄の様相を幻燈(スライド)で見せたり、お坊さんが話したりしていました。

 それらが道徳性の涵養(かんよう)に役だったのは確かですが、ほんとうに原罪があるのかどうかは別問題です。高校から大学に進み、いろいろな人や出来事とかかわりながら自分や社会について考えるなかで、次第に深まっていくテーマだと思います。