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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。
 家族のために、そして世のため人のために奮闘するお父さんのまなざしをフィクションでお届けします。

18話「春よ来い、早く来い」

 新年を迎えた。受験生のナオミに正月休みはなかった。
 大分の義母を含め、家族は臨戦態勢だ。受験が終わるまでの間はナオミを中心に家族は回っている。

 とはいっても、受験するのはナオミである。家族は静かに見守るだけ。食事と健康管理に気を使うことはあっても、他は祈るしかない。

 それでも気にはなる。担任の先生の見立てはどうか、模擬試験の結果はどうなのだろう、と。

 「ナオミ、調子はどう?」

 「う~ん、どうかなあ…」

 この半年のナオミの志望校の模試判定は、「B」と「C」を行ったり来たりしていた。

 受験制度も勉強の仕方も、私の学生時代とは勝手が違う。しかしナオミに助言を求められたら、自分が経験した出来事は話してあげよう。それが役に立つかどうかは別にして、だ。下手なアドバイス、ましてやお説教などしてはならないと、肝に銘じている。そう自覚したら、あとは娘を信じるだけだ。

 私の両親は平常心を貫く。いつもと変わらない日常を過ごしている。母が丹精込めた食事はきっとナオミの力の源となっているはずだ。

 文字どおり、「成長期」にあるナオミだが、この数年の心の成長ぶりは、目を見張るものがあった。
 自立心が芽生え、人生というキャンバスに絵を描き始めている。未来を見つめる視点も持つようになった。

 夢と志を持って生きる。
 これは、思春期の少年少女たちにとって称号ともいえる言葉ではないか。

 かのクラーク博士は、札幌農学校1期生との別れの際に、「Boys, be ambitious!(少年よ、大志を抱け!)」と語ったという。
 札幌農学校に学んだ学生たちもまた、ナオミと同世代、思春期ただ中の青少年たちだった。

 私はナオミを励まそうと言葉を探すが、月並みな表現しか見つからない。ナオミはしっかりと私の目を見つめて心に秘めた思いを返す。

 「分かっているよ、パパ。夢と志を持って生きよ、でしょ?」

 以心伝心。
 大丈夫だ。必要な時に手を差し伸べるだけでいい。今は自分で考え、自分で判断し、自分の足で前に進む時だ。


 梅の花は例年と同じ時期に咲き始めた。季節は巡り、三寒四温を繰り返しながら、寒さも次第に緩んでくる。

 受験の朝。
 ナオミはカオリの遺影の前でいつもより少し長い時間を過ごした。

 「ママ、行ってくるね…」

 ナオミは家族を振り返る。

 「おじいちゃん、おばあちゃん、パパ…。人事を尽くして天命を待つ、だよね。…じゃあ、行ってきます」

 すっと伸びた背筋がまぶしい。
 ナオミは笑顔とピースサインで受験会場に向かった。


 合格発表の日、志望校の掲示板にナオミの受験番号が記されていた。
 国際学科のある都立高校だ。ナオミは夢に一歩近づいた。

 誰より喜んだのはナオミの祖父母たちだった。母はナオミを抱きしめたまま泣いた。父は顔をくしゃくしゃにしながらナオミの頭を何度もなでた。義母は電話の向こうで少女のようにはしゃいだ。

 その日の夜。ナオミは夕食の場で、受験当日に体験した不思議な出来事を語り始めた。

 「試験の日はね、とにかく問題を解くことに集中しようと思って、誰にも話しかけなかったし、周りにも一切目を向けなかったの。実際、周囲の音は全くといっていいほど気にならなかったし、ちょっと緊張はしていたけど、不安な思いにはならなかったわ」

 ナオミは何度か深く深呼吸し、試験の問題用紙に手を当てながら、問題を解いている自分の姿をイメージした。
 それは祖父に教えてもらった精神統一の方法だとナオミは言った。

 父は「ナオミちゃんに必ず合格する秘伝の術を教えてあげたんだ」と笑った。

 「それでね。試験が始まったら、声は出さないけれど、まず試験問題を読むでしょ? だから私も当たり前に試験問題を読み始めたの。そうしたら問題文を黙読する私の声と重なるようにもう一つの声が聞こえてくるの。
 最初はびっくりしたけど、そうやって読み進めると問題文の意味がよく頭に入るし、自分が問題を作成した立場に立っているみたいな気持ちになって、その問いの狙いとか、何を求められているのかがすごく分かるんだよね。これはこういうこと、ああいうことだなって…」

 その声の主は一緒に読むだけで、決して答えを教えてくれるわけではない。

 「なんだか、一緒になって問題を解いてくれているみたいだった。試験中、ずっとその声の存在に励まされていたなって感じだったの」とナオミは振り返った。

 不思議な体験はそれだけではなかった。

 最後の科目の試験が終わって解答用紙が回収されている時、少し気が緩んだナオミは何気なく周囲を見渡して驚いた。

 「そこにはいろんな国の人がいて、いろんな国の言葉が聞こえるの。熱心に話し合ってた。何かの国際会議場みたいだった」

 試験官の先生の、全ての終了を案内する声を耳にした瞬間、その光景は一転して試験会場となっている都立高校の教室の風景に戻った。

 ほんのわずかな時間ではあったが、何者かによって別な世界を垣間見せられたのだとナオミは言い切った。
 そしてナオミは、「そこは未来の自分がいるべき場所」だと確信したという。

 ナオミは試験会場でビジョンを見せられたのだ。それは未来の自分の姿でもあった。
 そこに導いたのは、試験中からずっと寄り添い見守っていた存在だった。

 ナオミが中学生になった頃、すでに天上の人となっていたカオリが、母を通して地上の家族とコンタクトするようになった。

 カオリは一緒に本を読んでほしいと望んだ。以来、毎日とはいかなかったが、家族が集まって『こころの四季』から始まり、家庭連合、統一教会の創始者、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生の教えを一緒に声に出して読むようになる。

 祖父母と孫娘の声が重なり、父と娘の声が重なった。もちろん、そこにはカオリの声も重なっていたはずだ。
 ナオミが本を読む時、共に読む存在、それがカオリだった。

 ナオミと一緒に試験問題を読んでいたのはカオリだった。
 ナオミとカオリは一緒に読み、一緒に思考し、一緒に歩んでいる。二人は、共有と共感と共観の世界を生きているのだ。
 そして志を貫いた先の世界、すなわち未来のナオミの姿を霊的に映し出して見せたのだ。

 私は霊界がどのような世界なのか、直接見聞したことはない。しかし肉身を持たない霊人が実在するということは、この数年の体験を通して知るようになった。

 祝福を受けて地上の生を終えれば、聖和者となる。
 聖和者は、純粋な魂を持つ地上人に寄り添うことができる。一緒に本を読み、聖地で共に祈り、並んで山を歩く。
 そして神の子らを祝福に導くのだ。

 私の耳元に魂から発せられる歌声が聞こえてくる。

 「春よ来い、早く来い」

 ナオミはソメイヨシノの花びらが舞い散る中で中学を卒業した。
 そしてヤエザクラが咲き誇る中で高校生となった。

 春らんまん。
 若芽のように輝くナオミと共に陽春を満喫しながら、私たち家族は、祝福の一日を待っていた。


登場人物

●柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
●柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
●柴野尚実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘
●柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
●柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
●宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
●宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母

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 次回もお楽しみに!

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