日本人のこころ 12
出雲~『古事記』(6)中つ国を治める大国主

(APTF『真の家庭』233号[3月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

統治の仕組みとは
 スサノオの試練を乗り越え、葦原の中つ国を統治するようになった大国主は、強い弓矢を持っていたことからヤチホコと呼ばれるようになります。

 ところで古代社会において統治はどのように形成されたのでしょうか。強い弓矢が意味する武力は、民の安全を確保するために必要です。でも、それだけで人々を治めることはできません。「魏志倭人伝」には卑弥呼が鬼道(きどう)を行っていたと記されているように、神々の声を聞く巫女のような能力で、邪馬台国の民の信頼を得ていたことが分かります。

 統治には、統治にかかる経費を民から取り立てる必要があります。武力もそれによって備えられるものです。つまり、税を取るシステムこそが統治の仕組みとも言えます。

 米作りを中心に国が形成されてきた日本では、収穫されたもみの一部を神社に奉納するしきたりがありました。春になると、神の元で浄められたもみを下げていただき、種もみとして苗作りに使うのです。これが日本における税の始まりで、神事と政治、経済が一体だったとされています。その名残は今も、神社のお田植え祭などの稲作神事として残っており、伊勢神宮などの社殿はもみを保管する倉庫が発展したことが分かっています。

 稲作は季節に合わせて手順よく行わないといけないので、暦が必要になります。中国では古代から、王は時を支配するとされ、暦の作成が王の特権の一つでした。中国の律令制をまねた日本でも、朝廷には暦を作る部局があり、天文学者がその役を務めました。

 稲作が自然に大きな影響を受けるのは今も昔も同じで、人々は自然を司る神々への信仰が求められます。国土の7割が森林という日本では、神々は崇高な山にいるとされ、田の神を里に迎えてから、稲作が始まります。今でも、苗を植えた水田の水口に花を飾り、田の神に感謝する風習は各地に残されています。

 また稲作の特徴は共同作業で行われることです。指導者がいて人々に作業を指示し、共通の目的のため、一緒に働くよう仕向けなければなりません。人間は価値があると思うとそれに従う性質がありますので、指導者には何らかの価値や権威が求められます。

 卑弥呼には弟がいて、2人で国を治めていたとされますので、姉の宗教的権威を背景に、弟が実務的な統治を行っていたと考えられます。こうした統治の仕組みが部族ごとに形成され、やがてそれらを大和朝廷が統合するようになったのでしょう。こうしたことを念頭に置きながら『古事記』を読み進めていきます。

ヤチホコとヌナカワヒメ
 『古事記』では、ヤチホコが日本海沿岸の各地の女性を妻にする物語が記されています。彼にはスセリビメという正妻がいますから、現代なら重婚で許されませんが、平安時代ころまでは、夫が妻の元に通う通い婚が一般的でした。夫婦の子供は妻の家で育てられるので、必然的に妻の家が強くなりますが、力のある男性はそうやって自分の支配地を拡大していったのです。

 ある時、ヤチホコは高志(こし)の国のヌナカワヒメを妻にしようと思い、出雲から出かけて、妻問いの歌を歌います。高志の国は北陸一帯のことですが、ここでは新潟県糸魚川のことです。「高志の国にはすぐれた女が、美しい女がいると聞いて……」と求愛の歌を長々と歌います。

 これに対してヌナカワヒメは戸を閉めたまま、やはり歌で返します。「ヤチホコのいとしいお方よ、風にしなう草に似た、女ですゆえ……」と、応える気持ちは示しながら、簡単には受け入れません。思いを歌に託して伝える様子は、古代の若い男女による歌垣を思わせます。そしてヌナカワヒメはヤチホコを受け入れ、出雲の支配が高志にも及ぶようになります。

 ところが出雲に帰ると、あの猛々しいスサノオの娘のスセリビメが嫉妬の炎を燃やしています。困り果てたヤチホコは、そんなにまで言うのなら大和に行ってしまおうとして、最後に妻を愛する歌を歌います。これを聞いて妻は思い直し、夫に酒を差し出し、恨めしい気持ちを込めながら、夫を愛する歌を歌い、結局、元のさやに納まります。

 考古学的には、出雲の国は九州から東北まで日本海沿岸一帯に広まりますので、ヤチホコは次々と妻をめとっていきます。注目すべきは北九州の海の民である宗像氏の娘を妻にしていることで、日本海文化圏とも言える広域な交流のあったことが分かります。

 その典型的な物証が、糸魚川産のヒスイが各地に拡散していることで、遠くは海を渡った朝鮮半島にも及んでいます。文化は双方向ですので、中国大陸・朝鮮半島から一方的に日本列島にやってきただけではなく、日本から半島・大陸に渡ったものもあります。例えば、百済にある前方後円墳は明らかに日本の模倣で、圧力を強める高句麗に対して百済が日本との関係を誇示するためだったとされています。

 朝鮮半島から渡って来た先進文化の代表は稲作と鉄です。それらは先端技術の固まりで、鉄は武具や農具に加工され、それを手にした者の統治を容易にしました。他方、ヒスイや玉は不老長寿など神秘的な力のある物として珍重され、交易品に使われました。王も多数いたはずです。そうした古代出雲王国の形成が、大国主(ヤチホコ)の物語として集約され、語り伝えられているのです。