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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。
 家族のために、そして世のため人のために奮闘するお父さんのまなざしをフィクションでお届けします。

8話「一緒に読んでください」

 大病を患った母であったが、見事に復活を遂げた。
 「九死に一生を得た」とも言えるし、「何者かに生かされた」と言っても言い過ぎではないほどの回復ぶりだった。

 元々働き者の母だったが、退院後、季節が一つ過ぎた頃には以前と変わらない様子で家事をこなし、孫娘であるナオミのために「生かされた」命をささげるかのように毎日を生きた。

 ナオミは中学生になった。背も伸びた。祖父母の愛情はナオミを明るく照らした。祖父母と一緒に買い物するナオミの姿は生き生きとしていた。

 母の口癖は、私の幼い頃から、「真面目に生きていきなさい」だった。言葉どおり、母自身も常に誠実な態度で日々を過ごしていた。そして誠実であることは、自分に厳しく、何事に対しても前向きに頑張るということを意味していた。
 病み上がりの母が「頑張る」と表明するたびに、「頑張らなくてもいいんだよ」「無理しないでね」と私は返した。

 私はといえば、40代になり、働き盛りを絵に描いたように忙しい毎日を送っていた。母の入院中は在宅で仕事に対応することも多かったが、半年も過ぎるとそうもいかなくなった。国内の出張だけでなく、海外への出張も増えた。海外に出ると1週間から10日ほどは家を留守にすることになる。

 「家を空け過ぎじゃないか」

 息子の帰宅を待っていた父がテレビを見ながらつぶやく。

 「母さんはあの性格だから家事もやり過ぎるほどやってる。でも限界というものがあるだろう。母さんも一度は死にかけた身なんだぞ。まあ、俺もやれることはやるが、おまえ、もう少し家で過ごす時間をつくったらどうだ。ナオミとも最近あまり話をしてないだろう」

 痛いところを突かれた。
 そのとおりなのだ。

 「ナオミの帰宅が最近遅くなっているのは知っているのか?」

 食べてきたと言って、家で夕食をとらない日も増えている、と父はナオミを心配した。
 仕事の忙しさと、娘の思春期を言い訳にして、家のこともナオミのことも両親に任せきりにしてしまっていた。

 「家族が大切」「家庭は愛の学校」などと言いながら、それを実践できていない張本人が私だったのだ。

 妻のカオリが亡くなって6年がたった頃だ。カオリが母の夢枕に立つようになった。

 「最近、カオリさんの夢ばかり見るのよ。何か言いたそうなんだけど、いつも黙ったまま。私を見つめているだけなの。悲しそうな表情にも見えるんだけど、何も言わないのよ。何か伝えたいことがあるんじゃないかしら」

 カオリもナオミのことが心配なのか。それとも、家族に薄情な夫のことを姑(しゅうとめ)に訴えているのか。
 父のつぶやきを思い出しながら、このままではいけない、と心の声は繰り返していた。

 母の夢の話を聞いてからは、できるだけ家族で一緒に食事をするよう努めた。毎週とは言わないが、最低でも月に一度は家族4人で外に出かける日もつくった。

 カオリはその後も頻繁に母の夢に現れた。母は次第に夢の中でカオリの声を聞くようになっていった。最初は何か言っているようだという「感じ」だったが、次第に言葉を聞き取れるようになった。

 「カオリさん、今朝は『本』がどうとか言っていたような気がするのよ」

 「本?」

 朝食を食べながら、私は聞き返した。母の夢の報告を聞くのが家族の朝の日課になっていた。

 「へえ~、ママは本が読みたいのかなあ。それとも私たちに読んでほしいのかなあ。ママって読書が好きだったんでしょ?」と、ナオミは関心を示した。

 そうなのだ。カオリは登山と読書とコーヒーが好きだった。子育ての忙しさの中でも、ちょっとした隙間時間には聖書や原理講論もよく読んでいた。

 「ナオミも聖書や原理講論、読んでみたらどうだい? ママもよく勉強してたぞ」

 「あら? もう学校に行かなきゃ。遅刻しちゃう。パパもほら、早くしないと」

 うまくかわされた。ナオミと信仰を共有できていないことが私の心を固くしている理由の一つだった。

 母がカオリの夢を見るようになって、わが家に二つの変化が生じた。
 一つはカオリのメッセージの解読が家族の共通の話題になったこと、もう一つは私の「霊界」への関心がいっそう高まったことだ。

 家族や身近な人の死を体験すると、人生の意味や人間の存在理由について考えるようになるのは当然のことかもしれない。
 思い出に浸るだけでは満足できない。忘れなさいと言われても、湧き上がってくる「会いたい」という気持ちを打ち消すことはできなかった。

(会いたい)

 この思いがカオリの存在する世界への関心を強くした。
 といって、急に霊的な感性が鋭くなるとか、霊が見えるようになるといった霊能力が備わるわけではない。
 地上の人間の頭で考えられる方法としては、先人たちが遺してくれた文献をよりどころとして、愛する人が永生するという、その世界への関心を満たすのが精いっぱいだった。

 カオリが母の夢の中で「本」について話していたと聞いて、思い出したことがある。
 オーストリアやドイツで活動した神秘思想家であり、哲学者、教育者でもあったルドルフ・シュタイナーが語った内容だ。
 シュタイナーは著作の中でこう述べている。

 「人間が地上で本を読むと、霊魂存在たちもその本を読みはじめます。つまり、本に書かれていることが、いきいきとした人間の思考内容になると、霊魂存在たちは人間の思考内容を読むことができるのです。書かれたもの、印刷されたものは、精神世界の存在たちにとって闇のようなものです」

 死者は地上の本は読めない。しかし地上に生きている者が本を読む時、その本の内容が生者の思考内容になれば、死者はそれを読むことができる、というのだ。

 カオリは本が読みたいのではないか。私はそう直感した。
 家族全員がそろう夕食の場で、私は思い切って自説を披露した。

 「おばあちゃんの夢の話なんだけどね。ママは本が読みたいんじゃないかなあ。ママは生きている時も本を読むのが好きだった。でも今いる所ではきっと本がないんだよ。精神科学の分野で著名なシュタイナーっていう先生がね、霊人は地上の本は読めないって言ってる。だけど、地上の人間と一緒に読めば内容が分かるようになるらしいんだよね。だからきっと地上の家族に読んでもらってさ、それで僕らの頭の中の思考を通じて読書がしたいってことじゃないかなあ」

 息子はいったい何を言っているのかと、食事中の父と母の箸も止まってしまった。

 「じゃあ、ママは何が読みたいの? どんな本がいいの?」と、ナオミは素直に反応する。

 聖書か、原理講論か、それとも他の本なのか。その気になって思いを巡らせている息子を横目に父は、「まあ、おまえがそうしたいならそうすればいい。ただし、俺たちのことは巻き込まんでくれよ」と、食後の煎茶を持ってテレビの前に座った。

 善は急げというが、急ぎの対応でもなければ、低温発酵による熟成を待つように、アイデアを三日間寝かせるというこだわりが私にはあった。三日たってもアイデアに対する最初の思いが失われていなければ採用するというのがマイルールだった。

 三日が過ぎたが、考えは変わらなかった。帰宅後、私は本棚の前に立った。
 私の本がほとんどだったが、生前カオリが読んでいた書籍も何冊か並んでいた。

(カオリはどの本が読みたいのだろう?)

 カオリのメッセージに応えたい、そう思いながら、書棚に並ぶ本のタイトル一つ一つを頭の中でなぞっていった。

 『こころの四季』

 小さなサイズの本だ。厚みもないが、気になって手に取って開いてみた。

 思い出した。
 家庭を持つ前の交際期間、カオリはよくこの本の一節を私宛ての手紙にも書き写して送ってくれていた。

 『こころの四季』は、家庭連合の創始者、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生の教えを短く分かりやすく、詩集のようにまとめた本だ。
 懐かしさがよみがえる。

(カオリさん、会いたいね)

 カオリの答えはなかったが、まずはこの『こころの四季』を読んでみようと決めた。
 その夜、私は印刷された文章が「いきいきとした人間の思考内容」になるよう、心の声でアナウンサーのように朗読した。

 数日が過ぎた頃、カオリが母の枕に立った。
 カオリの表情はうれしそうでも悲しそうでもなかったが、母はカオリのメッセージをはっきりと覚えていた。

 「一緒に読んでください」

 カオリはそう言ったのだ。カオリは、家族皆で一緒に本を読んでほしいと望んでいる。
 私はその瞬間、やっとカオリが願っていることが腑(ふ)に落ちた。家族皆で文鮮明先生の教えを実践してほしいのだと。

 「体は一緒に暮らしているけれど、心はどうなの?」

 カオリはそう言いたいのだ。
 衣食住を満たす物質的な日常の生活を繰り返す日々。本当に生きているのか。
 心が満たされていないことは父も母もナオミも分かっていた。
 そして誰よりそのことを分かっていたのは心の世界に住むカオリだったのだ。
 地上の家族の思考や心情を通して愛の交流をしたいのに、それができなかったのだ。

 シュタイナーは著作の中でこうも述べている。

 「透視的なまなざしで死者の心魂を追っていくと、眠っている人間の心魂が死者のための穀物畑であることが分かります。精神世界を見てみましょう。死と再受肉のあいだにある人間の心魂が、眠っている人間の心魂へと押し寄せ、眠っている人間の心魂の中にある思考と理念を探しているのを目にすると、驚きどころか、衝撃を感じます。死者は眠っている人間の思考と理念を、養分として必要とするのです」

 カオリは、日々孫娘のナオミに愛情を注ぐ母の心と交流していたのだ。ナオミの母親であるカオリと、ナオミの母親であろうとする母との心情の交流が毎夜なされていたのである。
 ヨハネによる福音書の第一章の冒頭が思い出された。

 「できたもののうち、一つとしてこれに寄らないものはなかった。この言(ことば)に命があった」

 カオリは霊界から重要なことを伝えていた。神の言を中心に一つとなってほしいというメッセージだ。
 信仰生活がおろそかになっていた。互いに関心を寄せ合い、支え合って、愛の心を交わす生活が失われてしまっていたのだ。

 まずは『こころの四季』から始めよう。その日から、神のみ言を家族皆で学び分かち合う訓読会の時間を時々だが持つようになった。
 父も渋々だったが同席してくれた。

 だが、家族は皆知っていた。
 そこに私の妻、ナオミの母であるカオリが一緒にいるということを。

【参照】
・『精神科学から見た死後の生』(ルドルフ・シュタイナー著、西川隆範訳 風濤社)
・『こころの四季~文鮮明師のメッセージ』(光言社)


登場人物

柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
柴野尚実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘

柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母

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 次回もお楽しみに!

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