世界はどこに向かうのか
~情報分析者の視点~

児童虐待が生む「自尊感情」の欠如

渡邊 芳雄(国際平和研究所所長)

 8月27日から9月2日までを振り返ります。

 この間の主な出来事は以下のごとくです。
 北朝鮮、拘束していた日本人を解放(8月27日)。アメリカ・メキシコの貿易協議合意(27日)。日本・厚生労働省、全国の児童相談所が対応した児童虐待数などをまとめたことが明らかに(30日)、などです。

 今回は、日本の児童虐待問題を扱います。
 厚生労働省は8月30日、全国の児童相談所が2017年に対応した児童虐待件数の調査結果を公表しました。前年度に比べ、1万1203件増えて13万3778件(速報値)となっています。前年度比9.1%増となりました。

 増加原因として大きいのが、子供の目の前で親が配偶者に暴力を振るう「前面DV」についての警察からの通告が増えたことです。これで、1990年の統計開始以来、27年連続で最多数を更新し続けていることになります。

写真はイメージです

 どこまでを虐待とみるかなど、判断しにくい例もあるかもしれません。衝撃的な「事件」によって国民の関心が高まることが、報告数に変化をもたらすかもしれませんが、問題の深刻化は間違いありません。

 半年前に起きた、東京・目黒の出来事は衝撃でした。両親に虐待された5歳の女の子・船戸愛結(ゆあ)ちゃんが「おねがい ゆるして」と書き残して亡くなったのです。このような悲劇が繰り返されてはならない、との思いから、国や地方自治体レベルでも新たな取り組みが始まっています。

 話は変わりますが、「虐待の連鎖」という言葉をご存じでしょうか。元法務教官の魚住絹代氏が、少年院で出会った15歳の少女について次のように述べています。

 「親から虐待を受け続けて育ち、暴力団に関わった。あらゆる人間に憎悪をたぎらせていた。(略)『血が見たい』『残虐なことがしたい』と繰り返した。彼女に『あなた自身と同じように、どの人も大事。だから殺してはいけない』などと説得しても通じない。子供は言葉ではなく、体験から学ぶ。人を傷つけてもいいという子は、例外なく傷つけられてきた子だ。かけがえのない存在として扱われてはじめて、他者の痛みに配慮できるようになる」(読売 2014年8月7日)

 この発言は、2014年に起きた長崎県佐世保市高1女児同級生殺害事件ついてのコメントとして述べられたものです。人間らしい動機や躊躇(ちゅうちょ)がない、良心の呵責(かしゃく)もないという殺人がなぜ起こり得るのかについて語っています。加害者に「自尊感情」が欠如しているというのです。

 児童虐待は、その意味で最も大きな問題です。孤立しつつある若い夫婦、親としての在り方が分からず感情に流されてしまう若い夫婦を支援することが必要になっています。