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小説・お父さんのまなざし

徳永 誠

 父と娘の愛と成長の物語。誰もが幸せに生きていきたい…。だから人は誰かのために生きようとします。
 家族のために、そして世のため人のために奮闘するお父さんのまなざしをフィクションでお届けします。

6話「あなた、ありがとう」

 「下界」という表現がある。仏教用語で俗界のことをいい、特に人間界のことを指す。下界は天上界あるいは上界の対義語である。下界をこの世と見れば、上界はあの世となる。

 山上は時に天上に見立てられる。
 マタイによる福音書の中に、イエスが山に登り、集まってきた群衆を見下ろしながら、弟子たちに教えを説くという場面がある。「山上の垂訓」といわれる、聖書に記録された有名なエピソードだ。

 家庭連合の世界的な原理講師として著名な周藤健氏は、統一教会と出合う前にキリスト教会に通っていたが、その頃、イエス・キリストと直接交流した期間があったという。

 ある日、イエスが周藤氏に現れてこのように証しした。
 「山上の垂訓は、地上の私が語ったのではなく、天上の神が直接語ったものだ」と。
 かくも「山」は天上の世界を想起させる象徴なのだ。

 私は山で亡き妻の声を聞いた。

 あの日から、私にとって山に登ることは、あの世の門の前に立つことと同義語になった。
 登山をすることは疲れるだけの無駄な行為と考えたこともあったが、今や山は、肉体の限界を超えて心霊を刺激する特別な空間となった。そんな夢想を抱かせてくれるようになったのが奥多摩、三頭山(みとうさん)での体験だった。
 その日を境に私は若葉マークを付けた「山伏」となった。

 だからといって、いきなり娘を山伏の弟子扱いするわけにはいかない。私が山の初心者であることに変わりはないのだ。盲人が盲人を導いてはなるまい。まずは一緒に自然を楽しむところから始めなくては…。

 「ナオミ、今度の土曜日にハイキングしない?」

 「ハイキング」と表現した方が、登山未経験者の10歳の子にとってハードルは低いはずだ。

 「ハイキング? 登山じゃなくて?」

 「そうだね。登山と言えば登山だけど、自然の中をパパと一緒に散策するって感じかな」

 「ふ~ん、どこに行くの?」

 「高尾山はどうかなあ?」

 「高尾山? いいよ~。だけどそれって、やっぱ登山じゃん」

 ナオミには「登山」で通じる。初めから「登山」と言えばよかったのだ。

 「ナオミ、ママは登山が趣味だったんだぞ。ママは山歩きが大好きだったんだ」

 「そうなんだ。パパはママと一緒に登山したことあるの?」

 「ああ、うん、いや~、それがないんだよ。ママと一緒に登山してみたかったし、家族3人で山を歩いてみたかったよなあ…」

 実は結婚したばかりの頃、私は何度かカオリから登山に誘われたことがあった。
 「夫婦で、家族で一緒に山を歩く」のがカオリの「ささやかな夢」だったのだ。
 ふと、「やらないで後悔するよりもやって後悔する方がいい」という先人の言葉が思い出された。

 独身時代はどちらかといえば合理主義的な発想が強かった。無駄なことはやる意味がないと私は考え、登山も人生に特段必要なものではないと決め付けていた。

 カオリと夫婦になり、私は妻との二人三脚で生きる人生第2のステージを歩き始めた。でも私の頭の中はそのように切り替わってはいなかった。
 妻が亡くなってからは、二人でやらなかったことへの後悔の念が日ごと心に積もった。

 決して娘を利用するわけではない。でも娘が望むなら、カオリが大好きだった登山を体験させてあげたい。それはかつて山嫌いだった自分だが、今は心から望んでいることだった。妻と一緒に登山がしたい、家族3人で山を歩きたい…。それは決してかなうことのない私の夢となっていた。

 ナオミは体力がある方だとか、スポーツが得意だとかといったタイプではない。しかし心のフットワークは軽やかだ。物おじしない性格は長所と言っていい。素直で何事にも前向きに取り組もうとする。この辺はカオリの遺伝子の影響かもしれない。親の欲目かもしれないが、伸びしろのある子だ、と思う。

 私は二度目となるが、ナオミにとっては初めての高尾山だ。そして登山初体験である。

 東京都八王子市にある高尾山は都心から約50kmに位置する標高599mの低山だが、昔から年間200万人以上が訪れる人気の山だ。
 2007年にはミシュランガイドで最高評価の三ツ星を獲得したことで来訪者の数は激増し、その後は年間300万人を数えるようになる。

 高尾山は古くから修験道の聖地、霊山としても知られている。いわゆるパワースポットだ。
 高尾山薬王院には年間を通じて多くの人が詣でる。高尾山薬王院は、成田山新勝寺、川崎大師平間寺と並ぶ関東三大本山の一つで、行基によって744年に開山された真言宗智山派の寺院である。

 小春日和の土曜日の午前9時。電車を利用して自宅から登山口まで、ドアツードアで約1時間半。紅葉も終わりかけの時期だったが、高尾山口駅前広場には登山客があふれていた。

 ナオミもなんだかうれしそうだ。
 ナオミは案内所に置かれた「高尾山マップ」を早速手に取って熱心に見ている。

 「パパ、道がたくさんあるね。どの道を行くの?」

 「そうだなあ。表参道コースの1号路、沢沿いに登っていく6号路、それから尾根伝いに登っていく稲荷山コース…、どれがいいかなあ」

 実のところ、私にナオミを案内できるコースは一つしかなかった。6号路経由のコースしか歩いたことがなかったからだ。

 「ふ~ん。よく分かんないけど、6号路かな。なんか沢沿いも歩けるなら面白そうじゃない?」

 「そうかあ、6号路かあ、いいねえ。沢沿いを歩くのは楽しいぞ~。じゃあ、6号路経由で山頂を目指そうか」

 私は内心、安堵(あんど)した。

 「私も6号路がお気に入りよ」

 カオリの声が聞こえたような気がした。

 広場で準備体操を終えて6号路の入り口に向かう。6号路の登山口に立ってナオミと肩を並べながら、前回歩いた道筋を頭の中で再生する。

 「よし、大丈夫だ」
 私はひとりごちた。 

 6号路の登山口に到着すると、ナオミは360度ぐるりと見渡しながら首をかしげている。
 「あれ~、なんかここ、前に来たことがある気がする。パパ、ナオミが小さい頃、高尾山に連れてきてもらったことってある?」

 「ないよ。ナオミにとっては初高尾。なんたって登山自体、今日が初めてだろう?」

 「そうだよね。初めてだよね、ここ。気のせいかあ…」

 「そうだよ。初めての高尾山だよ。さあナオミ、登山口で記念写真を撮っとこう…はい、チ~ズ!」

 二人は時折すれ違う下山者と「こんにちは」の“山の合言葉”を交わしながら、深い緑とすがすがしい山の空気の中を泳ぐように進んだ。

 ナオミには、初めての山歩きを楽しんでほしかったし、山が好きになってほしかった。
 私の遺伝子を受け継いでいれば、きっと程なく「疲れた~」となるだろう。でもカオリの遺伝子が勝っていれば、「パパ、登山って気持ちいいね」とでも言ってくれそうだ。

 短い休憩を何度か取りながら、父と娘は晩秋の高尾の土と葉と、そして石と大樹の根を踏みしめた。
 登り始めてから1時間ほどが過ぎた。標準コースタイムなら、あと2030分で山頂に着けるはず。ナオミは疲れた様子も見せず、むしろ私をリードする勢いだ。

 「パパ、大丈夫? 平気? ちょっと休む?」

 「大丈夫、大丈夫。山頂はもうすぐだ。それにしてもナオミすごいなあ。やっぱママの遺伝子受け継いでいるんだなあ。なんか山ガールって感じだよ。とても初めての登山とは思えないね。いやあ、すごい、すごい」

 長い階段を登り終えて一息入れながら、ナオミの山歩きぶりに私は感心した。
 もちろん10歳でも歩ける子は歩けるのだろうけれど、いつものナオミからは想像できないほどの健脚ぶりではないか。

 ナオミは地図を指さしながら、声を弾ませた。

 「パパ、今この辺だよね。もうすぐ頂上じゃない? もう一息だね。パパ、登山って気持ちいいね」

 (登山って気持ちがいいね)

 カオリの声が響く。
 私の脳裏には、娘の笑顔と妻の笑顔がシンクロするシーンが映し出された。

 私は心の声で問いかけた。

 (カオリさんも来ているの? カオリさんも一緒に歩いているの?)

 「パパ! 一気に頂上目指しちゃう?」

 ナオミの声に押されて、思わずハッとして口が開く。

 「よ~し、3人で一緒にゴールを目指すぞ!」

 カオリとナオミが一緒にほほ笑む。

 今日は快晴だ。山頂では純白の装いに輝く富士山がきっと出迎えてくれるはずだ。

 「ささやかな夢」を実現したカオリの笑顔の声が届く。

 「あなた、ありがとう」


登場人物

柴野高志(タカシ):カオリの夫、ナオミの父
柴野香里(カオリ):タカシの妻、ナオミの母、ナオミが6歳の時に病死
柴野尚実(ナオミ):タカシとカオリの一人娘

柴野哲朗(テツオ):タカシの父、ナオミの祖父
柴野辰子(タツコ):タカシの母、ナオミの祖母
宮田周作(シュウサク):カオリの父、ナオミの祖父、ナオミが14歳の時に病死
宮田志穂(シホ):カオリの母、ナオミの祖母

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 次回もお楽しみに!

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