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小さな出会い 13

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)

天野照枝・著

(光言社・刊『小さな出会い』〈198374日初版発行〉より)

王様の暮らし

 「掘り出しものがあったよ」

 夫がにこにこして、電気屋さんと大きな冷蔵庫をはこんできたのは1年ほど前のことでした。

 「下取りの中古品ですが、こんなお値段で出ることはまずないですよ。もっと大きいのを欲しいって買われたお客さんのですから、どこも悪いわけじゃないしね、何年でも使えますよ」

 ほんとに、新品みたいにきれい。念願の冷凍室がついた、ツードアのものです。

 冷凍室なしのワンドアは、都会の生活では不便で、ずいぶん前から替えたいと思っていました。でも、愛用してきた古い冷蔵庫は何となくいとおしく、その上家計の余裕もなくて延び延びになっていたのです。「替えたいなあ、でもどうしようかなあ」と独り言を言っていたのを、夫が覚えていて、たまたま通った道でいい中古を見つけてくれたというわけでした。

 「これ、何て便利なんでしょ。すごいわ」

 しばらくの間、私は何でも冷凍したくなって困りました。余分のおかず、カレー、何でもきちんとラップして冷凍しておくと無駄にならず、いつでも好きな時に解凍して食べられるのです。

 重宝したのは子供の離乳食でした。少量なのに作るのは手がかかるものですし、かんづめやびんづめは一回では多すぎるのです。分量ごとにラップして、2週間をめどに使い切ります。

 めずらしさも薄れたころ、冷凍という作業はごく自然に、わが家の食生活の一部になっていました。

 ところが最近、氷を出そうとして驚きました。冷凍室に温風が出ているのです。

 さっそく修理を頼んだら、自動温度調節器を取りかえてくれ、電気屋さんは例のごとく「これで何年でも使えますよ」と言って帰っていきました。その間4日ほど、冷凍室は使えませんでした。それは貴重な4日でした。私は自分の暮らしの水準について考えさせられたのです。

 「ママ、凍ったさくらんぼ、食べたいよう」

 娘がせがみます。夏に凍ったものが食べられるなんて、昔は王様ぐらいだったでしょう。

 人に聞いた話ですが、江戸時代、将軍に献上する「御氷様(おこおりさま)」というのがあったそうです。

 寒冷地方の山奥に氷室(ひむろ)を掘って、冬のうちに一番厚い氷をとっておく。盛夏にそれを荷造りし、人足たちが宿場の4分の1ほどで交代しながら、命がけで荷車を押してつっ走るのです。いくら塩でくるんでいても、氷は容赦(ようしゃ)なく融(と)けていきます。先頭を馬で走る特使は、「御氷様じゃーっ」と、お墨付(すみつき)か何かをかかげて関所も駆けぬけたとか。氷が融けてしまったら一大事なので、命がけだったとか。

 うちの娘は、一時アイスクリームを思うと涙が出てくるほど好きでした。いい子の時のごほうびに冷凍庫に入れてあったのですが、これも、“お伽(とぎ)話の王子でも昔はとても食べられない”ものです。いえ、昔だけでなく今だって……。

 ああ、ほんとに私たちは王様の暮らし。当り前に思ってはいけないんですね。

 「紙のコップで水が飲めるなんて。インドでは貴重品です」と、新幹線の紙コップを大切に持ち帰ったというマザー・テレサをしきりに思い出しました。

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 次回は、「一流ホテルで珈琲を」をお届けします。