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ダーウィニズムを超えて 38

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「ダーウィニズムを超えて」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 生物学にとどまらず、社会問題、政治問題などさまざまな分野に大きな影響を与えてきた進化論。現代の自然科学も、神の創造や目的論を排除することによって混迷を深めています。
 そんな科学時代に新しい神観を提示し、科学の統一を目指します。

統一思想研究院 小山田秀生・監修/大谷明史・著

(光言社・刊『ダーウィニズムを超えて科学の統一をめざして』〈2018520日初版発行〉より)

第三章 ドーキンスの進化論と統一思想の新創造論

(八)ドーキンスと統一思想の出会い

 ドーキンスは自然選択を創造主なる神に等しいものと見なしている。言い換えれば、ドーキンスは神を否定しながら、自然選択という観点から神の世界に入り込んでいると言えよう。彼は人格神としての神は認めない。しかし創造主としての神を自然選択という観点から見ているのである。

 外見上、ドーキンスの進化論と統一思想の創造論には類似性を見ることができる。ドーキンスは「漸進的、累積的進化」を主張しているが、統一思想は「段階的創造」を提示している。ドーキンスは「利己的遺伝子の闘争的相互作用によって進化する」と言うが、統一思想では、目的を中心として、デザイン(ロゴス)を伴った「遺伝子の円満な操作(注入、消去、組みかえ等)によって創造がなされた」と見る。ドーキンスは「われわれは遺伝子の乗りものである」と言うが、統一思想では、「遺伝子は生命の乗りものであり、生命は愛の乗りものである」と主張する。

 ドーキンスは「延長された表現型」として、遺伝子が電波の発信機のように遠くまでパワーを及ぼすと言うが、統一思想ではライフ・フィールドが遺伝子と授受作用しながら、その遺伝子の情報に従って、見えない鋳型を形成し、その鋳型に従って生物個体およびその付属物が造られていると見る。ドーキンスは脳の中でミームという自己複製子が繁殖して、ウイルスのように脳から脳へと伝わると言うが、統一思想では、心の中に生じた観念や概念は霊人体の心に宿るものであり、知情意の統覚によって形成されたり、統合されたりするものと見る。観念や概念は、人と人が対話する中で、それぞれの心と脳の授受作用を通じて、心から心へと伝わるのである。さらにドーキンスは自然淘汰によって、進化は「不可能の山を登る」というようにしてなされたと言うが、統一思想では、創造は「創造理想の山を登る」というようにしてなされたと主張する。

 このように見るとき、ドーキンスは唯物論的な立場から、神を否定しながら、神の創造の軌跡を追っていたと言えよう。ドーキンスは『祖先の物語』の最後に、次のように述べている。

 自らを宗教的と呼ぶ多くの人が、私の意見に同意してくれるのではないかと思っている。それらの人々に対して、私は、ある学会で耳にした、お気に入りの言葉を引用するだけにとどめたい。私の分野の指導的人物として有名なある長老が、同僚と長い議論をしていた。激論が終わったとき、彼は目を輝かせてこう言った。「そうだね。私たちは本当のところ同じ意見なのだ。ただ、君はそれがまちがいだと言っているだけなのだ!」

 今、私は本当の巡礼から帰ってきたのだと実感している(*77)。

 ドーキンスが唯物論的立場に固執することをやめて、自然選択を神の創造の業と認めれば、統一思想の創造論とドーキンスの進化論は不思議な一致を見ることができよう。


*77 リチャード・ドーキンス、垂水雄二訳『祖先の物語』下巻、小学館、2006年、422

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 次回は、「原人神話」をお届けします。


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