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小さな出会い 3

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「小さな出会い」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭の中で起こる、珠玉のような小さな出会いの数々。そのほのぼのとした温かさに心癒やされます。(一部、編集部が加筆・修正)

天野照枝・著

(光言社・刊『小さな出会い』〈198374日初版発行〉より)

メロンの思い出

 プリンスメロンが出まわる季節になりました。メロンの香りが私は大好きです。つましく育った戦中派としては、メロンの持つ雰囲気に豊かさを感じるのでしょうか。昔、ふるさと伊豆で、まくわうりと呼んでいたスイートメロンや、大きめのエリザベスメロンなど、若くて固い時はキュウリよりまずいけれど、熟すとなかなか良い味です。細かい白い網目(あみめ)のはいったアールスメロンなどは、食べないで飾っておくものだと小さいころは思っていました。私の母も、めずらしく頂いたりすると神棚にあげて、

 「おお、いい香りだねえ」

 などと有難がっているうちに腐らせてしまうのも、飾り物という気持ちが強いからでしょう。

 長女がお腹にいた夏のある日、肩で息をしながら八百屋の前を通りかかって、ハタと足を止めたことがあります。なんと、アールスではないけれど、筋(すじ)のついた大きなメロンが三つ、ひと山100円の所にならんでいるではありませんか。

 「これ安いわね。どうして?」

 「大サービスだよ奥さん、運ぶとき落っことしちまって傷(いた)めただけ。悪いとこ取ればおいしく食べられるよ」

 大喜びで100円払って、あこがれのメロンそっくりのコサックメロン三つ、かかえて帰りました。割ってみると半分はグーッと緑色が深くなっています。だけど何ともいえず美味でした。一度にメロン3個食べちゃうなんて豪華な生活ねえ。おいしいでしょ、お腹の赤ちゃん?

 食べながら、天から降ってきた甘露のように、その果物をいとおしく思いました。そして、そういう自分の心が、また感謝でした。山海の珍味を食べ飽きる金持ちの境遇よりも、ひとつの果物に創造主の愛をひたひたと感じる、この心がいい。栄華をきわめたソロモンでさえ、

 「平穏(へいおん)であって、ひとかたまりの乾いたパンのあるのは、争いがあって食物の豊かな家に勝(まさ)る」

 と言っているではありませんか。神様と共に歩む道は辛いことも多いけれど、その時、私はしみじみと幸せな気持ちで、主から与えられた良き夫と、生まれてくるわが子を思っていました。

 時は移り、いろいろなことがあり、それから2年後の初夏。同じ八百屋で、今度は二つでしたが100円で買いました。ときどき八百屋さんの手がすべるのも、いいものです。

 2歳になる娘に、なぜか、

 「ほうら、おやつよ。落ちたメロンよ」

 なんて言っちゃったんです。“落ちた”はよけいでしたが、かつて娘がお腹にいたとき食べた果物を、無事に生まれ育って2歳になるその子と食べるということが、何となく感慨深くて、そんな言葉が出てしまったのでしょう。

 「おいしいわねえ」「ちいねえ」

 語尾だけ調子をあわせる娘も、にこにこして、顔中ぬらしながらかぶりついていました。ところが、それからしばらくの間、

 「おちたメヨン、ほちいよー」

 とねだるのには閉口しました。やはりメロンはメロンとのみ教えるべきだったのです。それとも、これも彼女がお腹にいた時、私がしみじみあのメロンに感謝したことの影響かしら?

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 次回は、「からすなぜ鳴くの」をお届けします。