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宣教師ザビエルの夢 5

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「宣教師ザビエルの夢」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 1549年8月15日、鹿児島に一人の男が上陸した。家族や故郷を捨て、海を渡った男が、日本で夢見たものは何か。現代日本に対する彼のメッセージを著者が代弁する!(一部、編集部が加筆・修正)

白石喜宣・著

(光言社・刊『宣教師ザビエルの夢-ユダヤ・キリスト教の伝統と日本-』〈1999429日初版発行〉より)

第一章 日本人とユダヤ・キリスト教

二、切支丹大名の夢

マニラに建つ武士像
 フィリピンの首都マニラの一角に、鉄道のパコ駅があります。この駅前のロータリーに、日本人とおぼしき侍の銅像が建っています。ずっと以前、マニラを訪問した折、車でその前を通り過ぎたのですが、「あれは日本のサムライだよ」と、地元の友人が教えてくれました。そのときは、この侍は一体だれだろうと思っただけでしたが、後にこの人物を巡って、日本とフィリピンの友好のしるしとなる物語が存在することを知りました。

 初めて日本に到来したキリスト教が、急速にその宣教の成果を上げていく際に重要な役回りを演じたのは、当時、力を蓄えてきた戦国大名たちでした。九州には、ザビエルという人物に感銘を受けてキリスト教の保護者となる大友宗麟(そうりん)をはじめ、有馬晴信、大村純忠(すみただ)がおり、畿内には小西行長らがいました。彼らは、その動機はいかなるものであれ、洗礼を受け、キリスト教の価値観とその文化を受け入れていきます。彼らは普通、切支丹(キリシタン)大名と呼ばれています。

 マニラに銅像を残した侍の名は高山右近。切支丹大名の中でも、最も信仰深いと評されている人物です。

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 次回は、「ユスト右近」をお届けします。


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