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愛の勝利者ヤコブ 43

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「愛の勝利者ヤコブ」を毎週月曜日配信(予定)でお届けします。
 どの聖書物語作者も解明し得なかったヤコブの生涯が、著者の豊かな聖書知識と想像力で、現代にも通じる人生の勝利パターンとしてリアルに再現されました。(一部、編集部が加筆・修正)

野村 健二・著

(光言社・刊『愛の勝利者ヤコブ-神の祝福と約束の成就-』より)

おわりに

 このヤコブの物語は単なる過去の話ではない。何よりも今、私たちがどのようにすれば人生の勝利者となりうるかが、具体的なパターン(模範)として示されていると見なければならない。ヤコブは男性の模範、リベカとラケルは女性の模範である。

 人類の始祖エバは、天使長ルーシェル(へび)の誘惑を受け、「善悪を知る木の実を取って食べてはならない」という唯一の戒めを破って、愛において一体となり、天使長に属し、神に属さない者へと堕落した。そうなってから、エバは再び神のもとへ戻りたいと願って、禁断の木の実を食べるようにアダムを誘惑し、彼をも堕落させてしまった。

 その結果、エバと共にアダムも神とは無関係な存在となり、サタン(ルーシェル)が二人を主管するようになった。

 そのサタンの主管は原理型を取ってなされる。すなわち、まず家長であるアダムに働きかけて主権を握り、さらにその合法の後継者である長子カインと一体化して主権を手中にするようにしむけ、その既得権を守っていこうとするのである。この家父長制的な男性の支配は、力の論理に従って、抑圧、搾取、戦争という暴力を用いての利己主義──他を犠牲にして自分の利益を追求するという方向に向かいやすく、それが人類を不幸に陥れる大きな要因であった。

 イサク家庭においても、サタンは家長である父イサクに働きかけ、イサクがサタン側に立てられた長子エサウのほうを好きになるようにと、その気持ちをゆさぶっていった。それに対して、神の心情をよくくみ取れる立場にあったのが、家長ではなかったリベカのほうであった。

 リベカは自分の好き嫌いよりも、まず神の願いを真っ先に考えた女性であった。エサウが40歳の時に、神の願いを考えずに勝手にヘテびとの娘二人と結婚してしまったのを見て、リベカは、果たしてこのエサウに家督を継がせてよいだろうかと心を痛めた(創世記263435)。

 そのため、イサクがエサウを祝福しようとしているのを聞いて、それでいいのかと疑ったのである。ここで何をなせばよいかということはリベカが一人で判断しなければならない責任分担に属する問題なので、神はこの疑問には全く答えられなかったに相違ない。しかしリベカは、かつて胎内で双生児(ふたご)が押し合った時に、神が「二つの民があなたの腹から別れてでる。一つの民は他の民より強く、兄は弟に仕えるであろう」と啓示されたことを記憶していた。それで迷うことなく、イサクが間違った祝福をしないようにと鋭く知恵をめぐらせたのだと思われるのである。

 1993年に始まった成約時代(旧約、新約時代の後に到来する神の約束が成就する時代)、女性が先頭に立つことが願われる時代にあっては、中心に立つ男性(ヤコブに当たる)の母の立場に立つ者は、文字どおりリベカのように母子協助を行うべきであるし、妻の立場に立つ者は、このリベカの精神を受け継いで、子供(ヨセフ)と一体となったラケルのように、自分の思いに従ってではなく、終始一貫、神のみ旨に従って、「母と子が一つとなって、真の父母と一体となり、夫を復帰し、祝福を受けることによって神に帰らなければならない」(韓鶴子〈ハン・ハクチャ〉女史・1993914日「世界平和女性連合」の基調講演より)のである。

 また、男性はヤコブのように、復帰すべきエサウに対して、僕(しもべ)の僕の立場に立って仕え、神から受けた祝福を惜しみなくエサウに分け与えることによって、どのような心のわだかまりも恨みも解いていくようにしなければならない。そのパターンについては、物語の中に詳しく述べたので、繰り返す必要はあるまい。

 このヤコブの路程を天宙(霊界をも含む全宇宙)的な規模に拡大したのが文鮮明(ムン・ソンミョン)師ご夫妻の路程であり、ヤコブの路程を研究すれば、現代の摂理がすべて分かるといっても過言ではない。

 その意味で、この物語をただ読んで楽しまれるというだけでなく、何よりも自分が人生の勝利者、愛の勝利者となるため、地上天国を創建するための見本とされることを祈るものである。

野村健二

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 「愛の勝利者ヤコブ」は、今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。