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真の父母様の孝情を学ぶ 9
38度線、あの世とこの世の境を行き来して③

 『ムーンワールド』で連載中のコーナー、「真の父母様の孝情を学ぶ」を隔週日曜日(予定)でお届けします。
 韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁(真のお母様)の自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』からの抜粋をイラストとともにつづるコーナーです。

 今回は、「38度線、あの世とこの世の境を行き来して」(7981ページ)からの抜粋です。

 南での生活は、私たちにとって戸惑うことばかりでした。ソウルには一度も来たことがありませんでしたし、どこに行っても人、人、人でごった返していたので、どうすればいいのか、見当もつきませんでした。信仰をどのように守っていくのか、どこに行けば再臨主に会えるのか、何も分からず、目の前が真っ暗になりました。頼れるところもなく、お金もありません。特別な技術を持っているわけでもないので、稼ぐこともままなりませんでした。古びた空き家で雨露をしのぎ、一日一日を何とか生きながらえながら、過ごしました。

 しかしまず、ソウルで叔父を捜すことが最優先でした。私たちが南に来て頼れるのは、叔父だけだったのです。そういう中、意外なところから天の導きがありました。

 ソウル薬学専門学校で勉強を終えた叔父は、陸軍士官学校の薬剤官教育を受けた後、中尉として服務していました。母はわらにもすがる思いで彼を捜し出すために、毎日切実な祈りを捧げました。

 「弟の洪順貞(ホン・スンヂョン)を見つけるには、どうすればよいでしょうか?」

 その祈祷によって導かれ、偶然にも叔父の友人に道端で出会い、消息が分かったのです。まさに天佑神助(てんゆうしんじょ/天や神の助け。また、偶然に恵まれて助かること)でした。

 龍山(ヨンサン)陸軍本部に勤務していた叔父は、母親と姉、そして、姪が故郷から突然南に下りてきたのを見て、驚きながらも喜んでくれました。彼は早速、孝昌洞(ヒョチャンドン)に小さな部屋を一つ借りてくれ、私たちはそこに身を寄せることになりました。

 こうして、ようやく安心して生活できるようになったのです。あとで分かったことですが、そこは後に設立される統一教会の本部が置かれた青坡洞(チョンパドン)のすぐ近くでした。まさに目と鼻の先とも言えるほど、近所だったのです。

 ほどなくして私は孝昌(ヒョチャン)小学校に入学し、自由大韓の地で初めて学校に通うことになりました。本を風呂敷に包んで学校に行く毎日は、とても楽しいものでした。近所の大人たちからとてもかわいがられ、子供たちとも仲良くなりました。

 徐々に、南でも落ち着いた生活ができるようになりました。叔父が将校として軍に服務していたことや、まだ会えずにはいましたが、聖主(ソンヂユ)教の鄭錫天(チョン・ソクチョン)とその家族が先に南下していたことは、天が摂理を担わせる独り娘を保護するために準備していたと言わざるを得ないことでした。

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 次回は、「多くの命を奪った青い閃光」をお届けします。


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