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歴史と世界の中の日本人
第38回 高野寅市
喜劇王の絶大な信頼を得た日本人

(YFWP『NEW YOUTH』196号[2016年10月号]より)

 歴史の中で世界を舞台に輝きを放って生きた日本人が数多くいます。知られざる彼らの足跡を学ぶと、日本人の底力が見えてくる!
 「歴史と世界の中の日本人」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

 喜劇王、チャーリー・チャップリンは、生涯で4度来日しているが、1932年に来日した際、日本を訪問するようになったきっかけについてこう語っている。

 「日本人は皆、正直で親切だ。何をやるに際しても信頼できる。そのため、日本人に非常に好感を持つようになった。やがて、こんな素晴らしい人々をつくり出している日本という国に行ってみたくなった」

 チャップリンが大の親日家であったことはよく知られている。

 チャップリンはラフカディオ・ハーンの『怪談』を通して日本に興味を持ってはいたが、日本とチャップリンを決定的に結び付けたのは、長年、チャップリンの秘書を務めた日本人、高野寅市(18851971)である。

▲1932年来日したチャップリン一行。相撲見物をした際撮られた写真と思われる(右から二番目の男性が高野寅市/ウィキペディアより)

 広島で生まれた高野は15歳の時に渡米し、苦学の末に1916年に運転手を募集していたチャップリンに採用された。

 高野はその誠実さでチャップリンの絶大な信頼を得た。
 高野は運転だけでなく、経理や秘書など、さまざまな役割を器用にこなした。

 チャップリンは自著の中で「高野は何でもする。看護師、乳母、侍者、秘書、護衛、何でもした。彼は日本人で、私のためには何でも屋だった」と記している。

 高野の働きぶりに感激したチャップリンは、使用人を次々と日本人に変え、最も多い時は17人の使用人全てが日本人だったという。

 高野はチャップリンの遺書の中で相続人の一人に選ばれるほど絶大な信頼を得ていた。

 発明王、トーマス・エジソンも日本人である研究助手の岡部芳郎を非常に信頼していた。
 岡部はトーキー映画の開発に関わったといわれ、エジソンは彼の能力と勤勉さ、正直さを高く評価していた。

 幕末から明治期に来日した西洋人たちもまた、日本人の礼節・親切・正直・明朗といった徳目に驚嘆し、称賛の言葉を惜しまなかった。

 日本人の勤勉さ、正直さや誠実さは、現代にあっても日本への信用と信頼の証しとなっている。
 今もそしてこれからもそれは変わらない。

 これが、日本人自身が知らなければならない最も重大な日本の真実の一つである。

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 次回は、「外国人が見た江戸・明治期の日本人(前編)」をお届けします。