平和の大道 22
対馬は東アジア歴史の「タイムカプセル」

 皆さんは、『平和の大道』という書籍をご存じでしょうか。著者は、一般財団法人国際ハイウェイ財団の理事長、佐藤博文氏です。
 同書は、国際ハイウェイ財団が推進する「国際ハイウェイ・日韓トンネル」プロジェクトの意義や背景などについて総合的に理解することのできる貴重な一冊です。
 Blessed Lifeではその一部を抜粋して紹介してまいります。ぜひお楽しみに!

佐藤 博文・著

(『平和の大道-国際ハイウェイ・日韓トンネル-』より)

 対馬に来れば、東アジア歴史(特に日朝交流史)から見た日本史を深く学習できる。古代より大陸との中継地として重要な位置にあった対馬には、日本の古い宗教や文化の足跡を残す歴史遺産が豊富にある。

 ここは太古の昔よりアジア大陸と日本本土を結び、大陸文化の入り口であるとともに、日本の歴史・文化のスタート地点でもある。したがって、日本文化を構成する文化的要素の多くもこの対馬・朝鮮海峡ルートを経て形成されてきた。

 対馬島内に残された歴史文化遺産を見渡せば、魏志倭人伝、神功皇后、蒙古襲来、平家落ち武者伝説、豊臣秀吉の文禄・慶長の役、近世の朝鮮通信使、明治維新から日露戦争(対馬沖海戦)の関連遺跡等、日本の歴史の縮小版を見出すことができる。

 この「東アジアの新世紀」を開こうとする日韓トンネルプロジェクトにとって、「日朝交流史」を振り返ることは重要である。今回は、対馬を通した日朝交流史を概観することにより、望ましい日朝交流のあり方を模索する。

宗家と万松院

 日本は、A.D.663年の白村江の戦いでの敗北後、本土防備に備えて防人の制度ができ、金田城が築かれたりして、日本と朝鮮の間に「国境線」ができた。以来、日本と朝鮮半島は敵対関係、緊張関係となった。

 朝鮮海峡が友好・交流の海から、敵対・緊張の海へと変わった。その最前線が対馬である。その後、倭冦、元寇、秀吉の朝鮮出兵、近代の植民地化、戦後の緊張関係と続き、日本と朝鮮半島はおおむね緊張関係にあったと言える。

 しかし、両地域がお互いの立場を重んじながら友好的に交流していた時代もあった。江戸時代になって徳川家康の働きもあり、ようやく友好的な関係になった。その象徴が12回にわたる「朝鮮通信使」(1607~1811)である。

 徳川幕府と朝鮮国との間に立って対朝鮮外交を一手に引き受け、日朝友好に貢献したのが対馬藩であり、藩主「宗家」であった。

 藩の中にあって傑出した働きをしたのが、後で述べる儒学者の雨森芳洲である。1990年盧泰愚韓国大統領が訪日され、その折の宮中晩餐会の席上で、大統領は雨森芳洲を日韓友好に貢献した人物として紹介し、一躍有名になった。

 筆者は去年(2012年)10月初旬、対馬藩主宗家の菩提寺である「万松院」の「万松院祭り」に行ってみた。夕刻、自然石から出来た百雁木と言われる石段の両脇に並び立つ灯籠に灯がともされた中、132段の石段を上って墓所(御霊屋/おたまや)まで行き、参拝してきた。

 「万松院」は、1615年、20代藩主宗義成によって、19代藩主厳父・義智の菩提を弔うために創建された。厳父の法号にちなんで「万松院」とした。桃山建築様式を残す山門の脇から自然石の階段を上り詰めると、歴代の藩主と一族の墓が並んでいる。そこには45mにも及ぶ巨大な墓があり壮観である。

 「万松院」には十二柱の徳川将軍の位碑が安置されており、徳川家の菩提寺の東京上野の寛水寺に同等のものがあることから、対馬藩は徳川幕府から特別な位が与えられていたのである。徳川幕府が朝鮮との交流を重んじたからだ。

 対馬藩は十万石の格式であったが、壮大な墓地は数十万石の大藩並みと言われ、万松院墓地は、金沢市の前田藩(百万石)墓地、山口県萩市の毛利藩墓地と共に、日本三大墓地のひとつと言われている。

 宗義智は、小西行長と共に秀吉の朝鮮侵攻に反対したが、二人の努力も虚しく朝鮮征伐は発動した。宗義智は戦後処理に腐心し、1605年日朝修好の回復に成功し、その功によって十万石の大名に列せられた。日朝交流の基を築いたのである。

 宗義智の妻はクリスチャン大名の小西行長の娘、マリアであった。本人も受洗してキリシタン名をダリオと言った。マリアは関ヶ原の戦い(1600年)の後、長崎の教会に預けられ、1605年長崎の地で死んだ。マリアは今もなお対馬の八幡宮の一番左の神社に「今若宮」として祀られている。

日朝親善外交に尽力した雨森芳洲

 朝鮮通信使の招聘に対馬藩の中で実質的責任者として活躍した人物が、江戸中期の儒学者、雨森芳洲(16681755)である。彼は、木下順庵に学び、新井白石らと共に木門十哲の一人と言われ、師木下順庵の推挙で対馬藩に仕えた。

 朝鮮語が堪能で、中国語にも通じ、朝鮮通信使の応接等で活躍し、朝鮮への国書に記す将軍の称号問題で、幕閣の新井白石と論争をした。「誠意と信義」を信条とした外交は、朝鮮側から高い評価を受けた。

 朝鮮外交の基本を明言した著書『交隣提醒』の中で、「誠信之交わりと申す事が、人々申す事に候へども、多くは字義を分明に仕らざる事、之有り候。誠信と申す事は、実意と申す事にて、互いに欺かず争わずは真実を以っての交わり候を誠信とは申候」と説く。

 実意の外交、「欺かず争わず」の真実の交わりを力説した雨森芳洲の名言は、朝鮮と中国の事情に精通し、広い国際感覚を持っていた彼ならではの不滅の至言となった。

 「誠心の交わり」である善隣外交とは、お互いをよく理解した上で立場を重んじるが、尊大になることもなく、卑屈になることもない、対等の交わりのことである。鎖国下で朝鮮半島の事情に通じ、国際感覚を持って活躍をした人物がいたことは注目に値する。雨森芳洲の外交姿勢は、今日に通ずるものがある。

(『友情新聞』2013年4月1日号より)

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 次回は、「東アジアに通じる古代対馬」をお届けします。


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