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進化論から新創造論へ 22

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「進化論から新創造論へ」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 人間の祖先は本当にサルなのか? 統一思想からの提案は、科学的真理のように装ってきた進化論の終焉(しゅうえん)を告げる!

統一思想研究院 李相軒・編著

(光言社・刊『ダーウィニズムの誤りと統一思想からの提案 進化論から新創造論へ』より)

統一思想による新しい創造論

(4)相似性の創造
-すべての生物は人間をモデルにつくられた-

2 統一思想の見解~相似性の創造~

 統一思想によれば、人間は神の形象的実体対象であり、万物は象徴的実体対象です。つまり、人間は神の性質とかたちを完全に表すようにつくられ、万物は象徴的に表すようにつくられました。言い換えれば、人間は神に似せてつくられ、万物は人間に似せてつくられたのです。これを「相似性の創造」と呼びます。

 神は愛して喜ぶために、神の対象として人間をつくられ、人間を喜ばせるために、人間の対象として万物をつくられました。したがって、万物が創造された目的は、人間の生活環境となるためであり、生活資科となるためであり、また人間の観賞と愛護の対象となるためだったのです(図19参照)。

 初めに神は御自身に似せて、創造しようとする人間(アダム・エバ)の表象(イメージ)を心に描かれました。人間の表象とは、人間のデザインのことです。そして、その人間の表象を標本として、それを捨象したり、変形して、万物一つ一つの表象を描かれたのです。まず人間の表象を捨象・変形して動物の表象をつくり、次に動物の表象を捨象・変形して植物の表象をつくり、植物の表象を捨象・変形して鉱物の表象をつくられました。さらに鉱物の表象から分子、原子、素粒子の表象をつくられたのです。

 人間の形態や性質を象徴的に表現したのが動物であり、植物です。したがって個々の動物や植物は人間の形態や性質を単純化したものであったり、ある一部分の形態や性質だけが強調されたものなのです。それはそのような生物を通じて、人間が自己の特性を相対的に感知して喜びを得るためでした。たとえば百獣の王ライオンは威厳を象徴し、羊は従順を象徴するというようにつくられたのです。

 相似性の創造という立場から見るとき、相同器官や相似器官は進化の証拠ではないことは明らかです。生物は人間に似せてつくられましたから、生物の器官に類似性があるのは当然です(図20参照)。胚の成長の類似も、進化の足跡を証明するものではありません。人問に似せて生物はつくられたというとき、成長のプロセスも人間に似せたことを意味しています。したがって人間の胚の成長のプロセスは、あらゆる生物の胚の成長のプロセスを総合したものになっているのです(図21参照)。

 ヒトの胚の鰓裂(さいれつ)についていえば、ヒトが魚だったころの特徴を残しているのではありません。サカナの胚がヒトの胚に似ているだけのことです。そして人間では腺になるべきこの部分がサカナにおいては変形されて、えらになったのです。

 痕跡(こんせき)器官についていえば、例えば、尾てい骨は動物の尾が退化したものではありません。人間の脊柱を延長させて動物の尾がつくられたのです。また人間の耳の「動耳かく筋」も、退化したものではありません。人間の耳の筋肉の一部を拡大して、ある種の動物の耳を素早く動くようにつくられたのです。

 このように進化の証拠として挙げられたものは実は、かえって人間を中心とした相似性の創造を証明するものです。人間は猿から進化したから猿に似ているのではなく、人間に似せてつくられた猿が、人間に似ているのです。

 キリスト教の創造論によれば、すべての被造物は神に似せてつくられましたが、人間と万物の関係が明確ではありませんでした。統一思想の新創造論から見れば、人間は神の喜びの対象として神に似せてつくられ、万物は人間の喜びの対象として人間に似せてつくられました。このような統一思想の見解によって、進化論に対するより有効的な代案を提示することができるのです。

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 次回は、「創造の二段構造」をお届けします。


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