(『祝福家庭』81号)
【第一祝福】「個性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第一祝福】
「良心」に関するみ言(2)

 良心は、永遠の世界のコンピューターのボタンです。知っていることがそのまま入力されます。良心の呵責を受けることがあれば、それがそのまま入力されるのです。良心の呵責を受けない人生であれば、きれいな生涯として記録されます。霊界に行って弁解できません。自分が生きてきた一生の姿が、そのままはっきりと見られます。そのような世界があることを知って、その世界に通じることができ、その世界を迎えることができる準備をする訓練所が地上世界です。


天一国経典『天聖経』第7篇・第3章・第2節・17


 神様がほかのところにいるのではありません。「私」の心の中にいます。ですから、祈るときは心と会話しなければなりません。神様は心の根にいます。心をどんどん掘り下げれば、最高の良心の根に神様がいます。その次には、愛の根にいて、生命の根にいて、血統の根にいます。ですから、家でも感謝、社会に出ていっても感謝、国と世界のどこに行っても感謝なのです。天国に行っても、この公式どおりになります。どこに行っても通じるのです。それが地上天国であり、天上天国も同じです。


(同 第1篇・第1章・第1節・43


 神様の創造は、実に神秘で奥深さにあふれています。人間を、御自身の子女として創造され、万物の霊長として立てられた神様は、人間に良心という、最高、最善の贈り物を下さいました。人間が地上界で一生を航海するのに必要な羅針盤として下賜されたものが、良心という特別な贈り物です。よく人生百年と言いますが、人間は誰彼を問わず、生まれて死ぬ瞬間まで、良心の作用圏を抜け出すことはできません。
 そして、良心の作用の中で、最高、最上の機能が正に、真の父母、真の師、真の主人の役割を果たす機能です。言い換えれば、良心は、私たちが生まれたときから真の父母、真の師、真の主人の位置で私たちの生を指導し、教育する、神様の代身者だということです。私たちの一挙手一投足を、一時も逃すことなく導き、監視する責任をもっていることが良心の機能だということです。


同 第13篇・第2章・第3節・9