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進化論から新創造論へ 1

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「進化論から新創造論へ」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 人間の祖先は本当にサルなのか? 統一思想からの提案は、科学的真理のように装ってきた進化論の終焉(しゅうえん)を告げる!

統一思想研究院 李相軒・編著

(光言社・刊『ダーウィニズムの誤りと統一思想からの提案 進化論から新創造論へ』より)

 マルクスが共産主義を唱えたのとほぼ同じころに、ダーウィンは進化論を唱えました。1859年にマルクスは『経済学批判』の中で唯物史観の公式を発表し、マルクス主義経済学を初めて体系的に述べました。その同じ年に、ダーウィンは『種の起源』を著し、生物進化の思想を確立したのです。


▲ダーウィン、晩年の肖像(ウィキペディアより)

 19世紀の前半、進化論はかなり受け入れられた思想でしたが、ダーウィンは他の進化論者たちとは根本的に異なる立場から進化論を構築しました。ダーウィンよりも前の進化論者たちは、進化の原因が、生命力とか、神によって方向づけられた歴史とか、生物の努力とか、精神は本質的に物質に還元不能であるなどと語っていましたが、ダーウィンは、単に無方向な変異と自然選択を主張したのです。それは完全に唯物論に根ざしたものでした。ダーウィンはノートに次のように書いています。

 有機体のもつ神的作用への愛、おお、汝唯物論者よ! ……なぜに脳の分泌物たる思想が、物質の属性たる重力よりも不思議さにみちているというのか。それはわれわれの傲慢、われわれのわれわれ自身に対する賞賛(*1)。

 けれどもダーウィンは自分の進化論が唯物論に基づいたものであることを明らさまにすることを避けていました。

 私がどの程度唯物論を信じているかを述べることは避けるべし。情動、本能、才能の程度は遺伝するものであり、子どもの脳は親の血筋を引くものであるから、物質を基盤にしていることを述べるにとどめよ(*2)。

 マルクスは素早くダーウィンの進化論の意味することを理解し、強力な味方として受け入れました。「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは人間の歴史の発展法則を発見しました(*3)」とエンゲルスが語っているように、マルクス主義とダーウィンの進化論は、進む方向を同じくしていたのです。

 唯物論に基づくダーウィンの進化論は、マルクス主義ほど攻撃的ではなかったとしても、キリスト教と伝統的な西洋思想にとって破壊的な内容を持っていました。進化論は単なる一つの自然観ではなく、科学的真理を装いながら、人々を神を否定する方向に導いてきたのです。いわば、進化論はマルクス主義に有利な土壌をつくってきたのであり、今日までマルクス主義と進化論は互いに手を取り合いながら、人々を神から遠ざけてきました。したがって進化論にいかに対処するかは、人生観を根本的に左右する問題なのです。ホーマー・ダンカンは次のように述べています。

 創造と進化との戦いは、きれいごとのゲームではない。単に他方が間違っていると立証するだけの事柄でもない。創造と進化との戦いは、神とサタンとの大規模な戦いの一部分として重大なものである。人間の心と魂をかけての戦いなのだ(*4)。

 今日、共産主義の理想は完全に地に落ちて、人々はマルクス主義の誤りに気がつくようになりました。しかし進化論は、自由主義、共産主義を問わず、あらゆる国の生物学の教科書に取り入れられており、科学的な真理であるかのように受けとめられています。進化論が克服されないかぎり、無神論や唯物論は人々に受け入れられ、人間は神に近づくことができません。今日、人類は神が約束された理想世界を実現する時を迎えようとしていますが、そこにおいて大きな障害となるのが進化論なのです。


*1 Stephen Jay Gould, Ever Since Darwin, W. W. Norton & Company, Inc., 1977.
 浦本昌紀・寺田鴻訳『ダーウィン以来』早川書房、1984年、上巻、28頁。
*2 同書、上巻、30頁。
*3 エンゲルス、土屋保男訳「カール・マルクスの葬儀」『マルクス・エンゲルス全集』大月書店、第19巻、331頁。
*4 Homer Duncan, Evolution:The Incredible Hoax, Missionary Crusader, Texas, 1978.
 佐藤是伸訳『進化論―その盲点をつく―』いのちのことば社、1981年、97頁。

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 次回は、「アリストテレスの自然観とキリスト教の創造論」をお届けします。