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歴史と世界の中の日本人
14回 本島健三とプロジェクトチーム

(YFWP『NEW YOUTH』168号[2014年6月号]より)

 歴史の中で世界を舞台に輝きを放って生きた日本人が数多くいます。知られざる彼らの足跡を学ぶと、日本人の底力が見えてくる!
 「歴史と世界の中の日本人」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

 1950年代、アフリカの国々が次々と独立を果たしていく中、最も厳しい独立への道程を強いられたのは西アフリカのギニアだった。

 1958年、ギニアは宗主国であったフランスに一方的に独立を宣言。しかしその代償としてギニアは国土基本図を奪われた。

 道路を造るにも、鉄道を敷くにしても、国土基本図を失った新生国家は自国の形すら分からず、新たな国土開発は困難を極め、ギニア共和国は世界の最貧国とならざるを得なかった。

 1977年、そんなギニアに救いの手を差し伸べたのは日本であった。

 10億円の予算と共にギニアの国土基本図作成プロジェクトが始動した。
 本島健三を筆頭に腕利きの測量士16人を中心にプロジェクトチームが編成された。本島は「測量の鬼」と呼ばれたベテラン測量士であった。

 プロジェクトチームはギニアの国土58カ所に基準点を設置し、世界初の衛星航空システムを駆使して土地の高低・勾配を記す活動を開始。本島健三を中心に測量作業が続けられた。

 西アフリカの大地は摂氏40度を超える熱風が吹き荒れる過酷な自然環境である。死に至りかねない吸血バエの恐怖。作業は困難を極めた。
 原住民への暴力事件の容疑がかけられ、国外退去の危機に陥ったこともあった。プロジェクト本部が火事に見舞われることもあった。

 「ギニアとギニア人を愛せ!」
 それでも本島健三はプロジェクトのメンバーたちを鼓舞した。
 次々と襲いかかる困難を乗り越え、黙々と作業を続ける日本人の姿にギニアの人々は次第に心を動かされていった。

 19826月、本島たちの執念とギニアの人々の協力によってついにギニア国土基本図は完成した。
 森を切り開き、川から用水路を引くことができるようになった。

 セクトーレ大統領(当時)は日本のプロジェクトチームに感謝の言葉を贈った。

 「私たちと対等に付き合ってくれた外国人は、あなたがた日本人が初めてです!」

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 次回は、「太平洋を超えた日本人」をお届けします。