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勝共思想入門 2

 アプリで読む光言社書籍シリーズとして「勝共思想入門」を毎週木曜日配信(予定)でお届けします。
 同書は、40日研修教材シリーズの一つとして、1990年に発行されました。(一部、編集部が加筆・修正)

光言社・刊

第一章 マルクス神話の崩壊
共産主義思想は人類の福音ではなかった-

一 マルクスの怨念

 マルクスについて考えてみましょう。マルクスが生まれたのは現在のドイツ(当時はプロシア)、ライン州、トリール市です。マルクスが生まれる3年前までこの地域は、革命フランスの領土でしたので、フランス革命の影響のもとにありました。それゆえフランス革命の背景となった自由主義思想の影響を強く受けていた地域であったのは当然です。自由の実現はマルクスの生涯の夢でした。

 1818年にマルクスは、ユダヤ人として生まれました。ユダヤ人であることの意味は、当の本人でなければ、到底分からないほど大きいのです。国がなく、どこに住んでも異民族として差別される。ユダヤ人の中に様々な分野で歴史的功績を上げた人が多いのも、この歴史的差別から生まれた怨念がバネとなったことも考えられるのではないでしょうか。

 マルクスの父親は弁護士でした。地方の法律顧問官をやっていたのです。両親共にユダヤ教の信者でした。先祖からの家系がラビ(先生)としてのものだったことから、その熱心さがうかがえます。ところが、プロシア政府からの勧告として、ユダヤ教からキリスト教に改宗しなければ、今の職にとどまることはできないと告げられたのです。生活のため、仕方なく改宗しました。母親は強く反対したようですが、のちに改宗しています。

 ここからマルクスの家庭は窮地に追い込まれていくのです。今までのユダヤ教の社会からは背教者、裏切り者と見られ、プロシア・キリスト教社会は、たとえ改宗しても、差別の心にさほど変化はなく、結局、マルクスはユダヤ社会、キリスト教社会両側から背を向けられ、孤立してしまったのです。孤独感は劣等感を生み、さらに疎外感を生み出すのです。これらの心情が怨念としてマルクスの心の中に潜在的に積み重ねられていくことになりました。マルクスの社会、国家に対する反抗心、国家権力悪者論はこのような怨念の情が根となっているといえましょう。

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 次回は、「マルクス主義は革命理論と復讐理論の複合物」をお届けします。

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