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【B-Life『祝福家庭』コーナー】
『祝福家庭』81号(2016年 夏季号)
誌上説教
伝道は最高の愛の実践

周藤健(43双)

 3回に分けて紹介します。

私を通して、喜ぼうとされた天の父母様

 私たちが何らかの行動を起こすには、体がなければなりません。天の父母様(神様)も同様、行動するための体を必要とされ、人間、アダムとエバをお創りになりました。
 そして人間の中に住み、その霊肉の五官を通じて有形世界を感知し、有形世界と授受し、それを主管され本当の喜びを得ようとされました。神様は人間を通してご自身の心情を表したい、すなわち「愛したい」と願われたのです。

 私たちの五官が神様の五官となり、私たちの願いが神様の願いとなり、私たちの行動が神様の行動となっていくときに、私たちは「神の宮」として、本来の生き方をすることができます。
 私たちの体は、神様の願いを成すためにあります。私が神様にとって住みやすい体になっているかどうかが問題です。
 罪を犯して汚れた体にはサタンが住み、サタンの宮となり、サタンの願うことばかりするようになります。残念ながら、それが今の堕落した人間世界です。

 私たちが神様に通じれば通じるほど、愛し合いたいという気持ちが溢れてきます。その気持ちは、愛の実践という形で現れます。
 そして、「伝道」こそ、人生における最も貴い「愛の実践」であると言っても過言ではありません。伝道は、新しい生命を生み出す出産と同じです。
 母親は産みの苦しみを味わいますが、赤ちゃんの産声を聞いた瞬間、喜びに溢れます。
 おっぱいやおむつ交換などを求めて泣き叫ぶだけの赤ちゃんに、無条件に投入していくしかありませんが、その中で愛を学び、愛の人となっていきます。真の愛の人になろうと思えば、愛する実践をして、真の愛を経験しなければなりません。

愛は生命を生み出す

 お金でも洋服でも、自分のもっているものを誰かにあげたらなくなってしまいますが、愛だけは、与えてもなくなることはなく、むしろ与えれば与えるほど増えていきます。
 自分は愛があると思っていても、誰にも愛を与えなければ、周りの人は「あの人には愛がない」と言いますし、愛を与えてしまって自分には何もないと思っても、周りは「あの人は愛が深い。愛の人だ」と言うのです。愛は、そのように、与えれば与えたぶんだけ自分のものになっています。

 人に対して愛を投入すれば、その人が生きてきます。愛することでその人に生命を与えるというのです。愛されると人は生き生きしますが、愛を投入した人はもっと生き生きとしてきます。愛のゆえに、生命が生まれるからです。人生においていちばん貴いことは、愛の勝利者となることであり、そのためには「愛した」という実績を残すことが重要です。
 永遠の生命という観点から見たときに、地上に財産を残しても、いくら名誉や地位、権力があったところで、いずれ消えていきますが、愛したという実績だけは消えることがありません。愛したことが人生の宝となります。

 私たちは霊界に何を持って行きますか? お金もきれいな服も地上に残して霊界に行きます。どんなに立派な家もきらびやかな生活も、みな地上に残していくしかありません。
 しかし、それらを本当に困っている人に全部与え、無一文で霊界に行ったとすれば、どうなるでしょうか? なくなったと思っていたお金や服、立派な家などが、霊界にたくさん用意されています。それが天に宝を積むということです。
 全てを与え、与え尽くしたときに、なくなったと思ったものはみな、永遠なる価値をもって再び現れるのです。

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 こちらの内容は『祝福家庭』81号「誌上説教」で全文をお読みいただけます。
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