神様はいつも見ている 38
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第7部 霊界と共に生きるわが人生
1. 心に影響を与える霊たち

 私の父が死に瀕(ひん)するような交通事故に遭遇した原因に、「先祖への恨みを子孫で晴らしてやろう」という思いを持つ霊の暗躍があったことはすでに述懐した。

 私の家系の先祖が犯した罪に恨みを抱いた霊が、その恨みを晴らすために子孫を祟(たた)っているということである。

 事故や火事、殺人事件などの背景には、このような先祖の犯した罪の問題が影響している場合があると考えられる。

 例えば、突然病気になったり、けがをしたりするような場合にも、背後に恨んでいる霊が存在する可能性があるのだ。

 また、ささいなことなのに、突然怒りに駆られて怒鳴り声を上げたり、けんかになったりする。殺意はなかったのに知らずのうちに相手を殺してしまったという例も少なくない。

 はっとわれに返って、なぜ自分がこんなことをしてしまったのか、自分でも分からないという人もいる。

 それは恨みを晴らそうとする霊が、肉体を持った人間に入り込み、精神を操って狂わせてしまうからだ。

 実際、私の父を事故に遭わせた霊が、後に改悛(かいしゅん)し、霊の力によって人間が動かされる実例を、兄を通して見せてくれたことがある。

 たわいもない会話の中で、突然兄の形相が変わり、怒鳴り声を上げたというケースだ。
 なぜ急に兄が怒り出したのか、私たちは訳が分からず、茫然(ぼうぜん)としていた。

 霊は兄から抜け出すと、すぐに母に入って、「人間はこのように簡単に操れる」と言った。
 同様に、多くの事件や事故は霊の力が働いて起こっているのだと言うのだ。

 では、どんなときでも無条件に霊が人に乗り移って操れるかというとそうではない。その人の心が弱っているときや、不平や不満を持っていたり人に恨みを抱くような思いになっていたりするときに、乗り移りやすいのだと言う。

 そのことを踏まえると、心を謙虚にし、自らの言動をいつも顧みて反省する人を操るのは難しいようだ。
 だから、突然怒り心頭に発するようなときは、いったんその怒りを鞘(さや)に収めて自らの怒りの出所を冷静に見定めて、それが正当であるかどうか、考える習慣をつける必要があるのだ。

(続く)

---

 次回は、「善霊を装う悪霊」をお届けします。