歴史と世界の中の日本人
3回 西岡京治
ブータンで最も尊敬される日本人

(YFWP『NEW YOUTH』154号[2013年4月号]より)

 歴史の中で世界を舞台に輝きを放って生きた日本人が数多くいます。知られざる彼らの足跡を学ぶと、日本人の底力が見えてくる!
 「歴史と世界の中の日本人」を毎週火曜日配信(予定)でお届けします。

 2011年に来日したブータン王国の若きジグミ・ケサル国王の姿に感銘を受けた読者も多いのではないだろうか。

 ブータンは、「国民総生産(GNP)」ではなく、国民の心理的幸福などを指標とする「国民総幸福量(GNH)」を重視する国としても知られている。

 そのブータンの国民から最も尊敬されている日本人を皆さんはご存じだろうか。

 ブータンの農業の発展に28年間にわたって尽力した農業指導者、西岡京治(19331992)である。
 「ブータン農業の父」といわれ、ブータン国王から「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を贈られた人物である。

 1964年、西岡は海外技術協力事業団から派遣されてブータンの地に降り立った。
 提供されたのはわずかな土地と、実習生としての3人の少年だった。
 西岡は日本から持参した数種類の籾(もみ)と野菜の種をまいた。

 ブータンは農業従事国ではあったが、田畑に使える土地は一割程度で、農業自給率は極めて低く、野菜を食べるという習慣もなかった。

 しかし西岡の栽培した野菜がブータンの人々の目に留まるようになり、次第に野菜や果物の種類が増えていった。
 国会議長は「あなたはブータン人の上に輝く太陽だ」と称賛した。

 その後、第4代国王の要請によって「忘れられた土地」と呼ばれたシェムガン県の開発に携わるようになる。

 自分たちのやれることは極力自分たちの手で行う、最小の費用で最大の効果、それが西岡の信念であった。

 それまでの焼畑から水田に移行させるために、西岡は5年間に800回もの話し合いを村人たちと行った。
 極貧地域は驚くべき変化を遂げ、子供たちが学ぶ学校や診療所も建設された。

 1992321日、西岡は敗血症がもとで急逝、享年59であった。

 西岡の葬儀は、妻と娘の到着を待って行われた。農業大臣が葬儀委員長を務める国葬であった。
 彼を慕う5千人にも及ぶ人々がブータン全土から弔問に集まった。

 西岡によってもたらされた農業技術と国際貢献の精神は今日のブータン国民の幸福量となって実っている。

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 次回は、「世界を愛し、世界に愛された冒険家」をお届けします。