神様はいつも見ている 35
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第6部 霊界解放の道
2. 解怨の地、清平

 統一教会(現・家庭連合)には、特別に先祖の霊や恨みの霊を解怨する施設がある。
 その場所とは、すでに何度か紹介した、韓国京畿道加平郡にある清平(チョンピョン)修錬苑(現・HJ天宙天寶修錬苑)だ。

 先に記したように、私の母がやっていた神道の教会では、毎日お供えをして謝罪を繰り返すという生活をし、それを6カ月ほど継続してようやく恨みの霊の一人か二人を解怨できるかできないか、というほど大変な作業だった。

 それに比べると、統一教会では比較的短い期間でその人に取りついているある程度の数の恨みの霊を解怨できる。
 それは解怨する場所が特別な聖地だからだ。そこは地上界と霊界の門がある場所ともいわれている。

 なぜ清平の地が、そのような恨みの霊を解怨できる場所になったのか。
 それは、文鮮明(ムン・ソンミョン)師がこの地が霊界に近く、そして清められた場所であることを発見し、長年そこに通い、特別な祈りをささげてきたからである。

 父が恨みの霊による交通事故で死にかけた体験があるので、霊に取りつかれるのは、他人事ではない。
 父に祟(たた)った恨みの霊だけが、私の家系に祟っているわけではなく、先祖をたどれば、多くの恨みの霊がわが家系の子孫を狙っているのではないか、という思いもある。

 父に祟った霊はその後、解怨によって自分の悪行を心から悔い改めて霊界へ行き和解したが、その後、私が心臓病で死にかけた二度の体験は、他の恨みの霊がかかわっているのではないか、と私は考えていた。
 だから韓国に行く機会があれば、時間の許す限り、清平修錬苑での解怨の役事に参加することを望んだ。

 解怨とは、地上界にとどまっている霊たちや私たちの体に入り込んだ霊たちの恨みを解き、彼らを本来居場所とすべき霊界に戻すことだ。しかし清平での役事は、解怨だけにとどまらない。

 文鮮明師によって開かれた真の霊界解放の道とは、解怨された霊たちを悪霊から善霊へと転換するだけでなく、祝福によって神の創造理想を実現し得る本然の人間、すなわち神の子へと復帰する道を開いたことなのだ。

 これが、「祝福を受けるのとそうでないのとでは、天地の差がある」という意味なのである。

 1998年当時のことだが、こんなことがあった。

 清平に同行することになっていた人が言うには、その時の清平への参加プログラムには、清平での修錬だけでなく、周辺の観光地を訪ねるスケジュールも含まれているというのだ。

 「いつも、清平と日本の往復だけではつまらないでしょう。観光もしないとね」

 「そうですか?」

 私は観光にはあまり関心がなかった。
 なぜなら、心霊スポットといわれる場所に行くと必ず霊が降りてくる母ほどではないが、私の場合もその土地の地縛霊や浮遊霊の影響を受けることが少なからずあったからだ。

 普通の人なら、観光地で美しい風景を楽しむことができるだろうが、私の場合、楽しむどころではなく、霊の存在によって苦痛を受けることが多いのである。

 とりわけ韓国は苦手だった。
 食べ物に限らず、韓国の風土にもなかなかなじめずにいたからだ。

 しかし聖地・清平に行くのは例外だった。
 けれど、他の場所や観光地はどうなのだろう。私は尋ねた。

 「そこはどこなのですか?」

 「雪岳山(ソラクサン)ですよ。北朝鮮の金剛山(クムガンサン)に匹敵する韓国の名峰の一つで、景色のいい観光地としても有名です。ハイキングやトレッキングができる山としても人気があるそうですよ。霊を分立した後に、山に登るなんて、最高じゃないですか」

 そう言われても、私は乗り気にはなれなかった。

 今回は遠慮したいと断るつもりだったが、「もう申し込んであるから」と言われ、気が進まないまま渋々同意し、私は機上の人となったのである。

(続く)

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 次回は、「雪岳山で霊人と逢着す」をお届けします。