神様はいつも見ている 33
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第5部 文鮮明師との出会い
4.「絶対に祝福を受けなさい」

 文鮮明(ムン・ソンミョン)師との初めての出会いは、自分自身の傲慢(ごうまん)さに気付かされるきっかけとなった。
 そしてその後、私は文師の心の世界の一端に触れることとなる。

 1990年ごろの話だ。
 統一教会(現・家庭連合)のリーダー30人ほどが文師の招きで、韓国を訪問したことがあった。
 一行の中には10人ほどの女性教会員がいた。そのうち、5人はまだ祝福を受けていなかった。

 私はそれまでに、何度か文師のもとを訪ねる機会があったが、そのほとんどは全国から集まった多数のリーダーの中の一人としての参加であったので、文師と直接言葉を交わす機会はほとんどなかった。

 その頃には、文師に対して最初の出会いの時のような衝撃を受けることはなくなっていた。
 ただ、金剛龍王大神(こんごうりゅうおうおおがみ)が語ったような、文師の霊的な価値を深く実感するまでには至っておらず、偉大な宗教指導者という印象を持つにとどまっていた。

 というのも、私が幼い頃から接していた神道の神様は、目の前でいろいろな奇跡を起こしたり、直接私に関する事柄については具体的な内容を示し指導したりしてくれたからだった。

 文師は、奇跡的なことは何も起こさなかった。
 それこそ、2000年前のイエス・キリストのように、水の上を歩いたり、病を奇跡的に治療したり、予言したりというようなことは、私が知る限りほとんど行わなかった。

 ただ、目に見える奇跡は行わなかったが、身近に接すると、そのあふれんばかりのエネルギーや気を感じて、こちらも知らず知らずのうちに元気になっていくことは実感していた。

 この時の訪問では、私の役目は女性参加者たちの付き添いのようなもので、全国から集った熱心な女性信者たちを慰労するのが目的だった。
 文師と初めて会う信者も多かった。

 「文先生は、どんなかたでしょうか?」

 そう私に尋ねてくる婦人もいた。

 「そうですね。お会いしたら、ちょっとびっくりするかもしれませんね」

 「え? そうなんですか?」

 「私が初めてお会いした時は、最初に考えていたイメージとはあまりに違っていたので、衝撃を受けました」

 「私は、長年、キリスト教の信仰を持っていたので、文先生をイエス様のようなかただと思っていましたが、それではいけないのでしょうか?」

 「そうですね。イエス様は2000年前のかたですし、資料も福音書の内容ぐらいしかないので、どのようなかたであったか、なかなか想像できないですよね。文先生は、今生きていらっしゃるかたです。イエス様とは、だいぶイメージが違うかもしれませんねえ」

 「そうですか?」

 40代と思われるその婦人はほほ笑んではいたが、納得し難い様子だった。

 「でも、どんなかたであっても、お会いできるだけでうれしいですわ」

 私たち一行は、韓国のリーダーたちの導きのまま、文師が待っている部屋に向かった。

 「先生、日本からのお客さまが来られました」

 「入りなさい」

 文師の声はややしわがれていた。

 私は、文師の声を聞き、おのずと身が引き締まった。

 「遠い所からよく来たね」

 文師は、糸のように目を細めて笑っていた。
 以前お目にかかった時と雰囲気が違っていたので、私はびっくりした。

 まるで長い間、遠く離れて暮らしていた子供を迎える父親のような慈愛に満ちた表情だったからだ。

 「先生は、ずっと君たちが来るのを待っていたよ」

 火の玉のように激しいあの文師の、こんなにも優しい表情を目にするのは初めてだった。

 「この中で、先生に初めて会う人は手を挙げなさい」

 すると、十数人の婦人たちの半分以上が、手を挙げた。

 「祝福を受けている人は?」

 およそ半数の婦人が手を挙げた。
 文師は、驚いたように目を見開くと、次の瞬間、私たち男性陣の方を振り向いて雷鳴のような声で怒鳴った。

 「なぜ祝福を受けていないのだ!」

 私たちは震え上がった。

 私は、自分たちが叱られる理由が分からなかったので、「祝福を受けていないのは私たちではありませんよ」という思いで、目線だけを彼女たちの方へ向けた。
 それをご覧になったのかどうか分からないが、文師は続けて言った。

 「こんなに苦労しているのに…」

 その時参加していた婦人たちは、目覚ましい活動の成果と模範的な実績を上げている女性たちだった。
 しかし、夫の理解を得られず、祝福を受けていない家庭も少なくなかったのだ。

 「どうして祝福を受けさせないのだ!」

 私たちは黙った。
 私も、婦人たちが苦労に苦労を重ねて熱心に活動していることを知っていたが、祝福は個人の問題であると思っていたので、なぜ文師がこれほどまでに叱られるのか分からなかったし、戸惑ってもいた。

 そうした私たちの心理を読んだのか、文師は続けて「なぜ助けてやらないのか!」と叫んだ。

 その声を聞いて、私は初めて文師が偉大な宗教的な指導者というだけではなく、一家の父親のように感じた。

 「君たちが助けて祝福を受けさせてやらないといけないじゃないか!」

 そして、ため息をついた。

 「先生は、悲しいよ」

 そうつぶやくと、文師は婦人たちに向かってうなずくように語りかけた。

 「先生の一生は、苦労に始まって、苦労で終わるんだよ。だからたちは、先生に出会って苦労するんだね」

 文師はわが子に語りかけるように、婦人たちを慈愛の目で見つめた。

 「でも、先生がその苦労に報いてあげられる道が一つだけあるんだね」

 婦人たちは微動だにせず、じっと文師を見つめていた。

 「それが祝福なんだよ。祝福は、唯一君たちの人生にあげられる先生からの最高のプレゼントだ。だから、夫を説得してでも絶対に祝福を受けなさい」

 そしてまた、私たちの方を振り返った。

 「この中には、祝福を受けて苦労し過ぎて、恨みを持つ人がいるかもしれない。でも、恨んでいたとしても、霊界に行った瞬間、感謝に変わるよ。地上でどんなに為(ため)に生きたとしても、祝福を受けていなかったら、霊界に行った瞬間、愛の減少感の極致を感じるようになる。だから、どんなことがあっても、祝福を受けるんだよ」

 私はこの言葉を聞いて、目からうろこが落ちる思いがした。
 それ以後、私は壮年や壮婦の既婚者にも、祝福結婚を受けるように勧め、そのための講義や講演を熱心に行うようになったのである。

 文師の教えによれば、天国は一人で行く所ではないという。天国とは、夫婦で、家族で行く所なのだ。

 文師の教えは、神道の教会で霊界のありさまを見聞きしていた私にとっては、まさに腑(ふ)に落ちる話だった。

(続く)

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 次回は、「霊界と供養」をお届けします。