神様はいつも見ている 27
~小説・K氏の心霊体験記~

徳永 誠

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」をお届けします(毎週火曜日22時配信予定)。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第4部 霊界からのメッセージ
3. 妻の両親が祝福を受ける

 霊界の父の導きによって兄夫婦が統一教会(現・家庭連合)の祝福にあずかる家庭となったが、一方で妻の実家については気がかりが残ったままだった。

 私には父を地上で祝福に導くことができなかったという悔いがあった。だから妻のお父さんには、何としても生きている間に祝福を受けてほしいと思っていたのだ。

 義父は病床にあった。末期がん…。闘病生活が続いていた。いつ霊界へ行ってもおかしくない状態だった。
 私は病院ででもいいから妻の両親の祝福式を行いたいと考えていた。

 ところが、その頃の私は統一教会の教えを伝える講師として、全国を忙しく飛び回っていたので、なかなか義父を見舞うことができずにいたのである。

 時間だけが過ぎていった。
 これではいけないと思い、なんとかやりくりして、一日だけ義父の病床を訪ねる時間を確保した。

 19958月、36万双の祝福結婚式を間近に控えていた時だった。

 義父は非常に現実的な人だった。宗教というものを信じていなかった。祝福に導くことは簡単ではないと思った。

 19928月以来、人気歌手で女優の桜田淳子さんが3万双の祝福結婚式に参加したことで統一教会に関するマスコミ報道が過熱した。

 批判的な報道ばかりだったので、義父は統一教会に対して良いイメージを持つことができなかった。というより、悪いイメージしか持っていなかったのだ。

 病室の義父は、複雑な表情で私たちを迎え入れた。訪ねたのが私たち夫婦だけではなく、私の母と兄が一緒だったせいかもしれない。

 「お父さん、体調はどう?」

 「まあまあや」

 私は義父の体調を気遣いながら、祝福の話を切り出した。

 「今日はお父さんに話があるんです」

 私がそう言うと、義父は警戒心をあらわにした。

 「アーメンソーメンの話なら聞かないぞ」

 「何ですか、それは?」

 「おまえたちのやっているインチキ宗教のことや」

 「マスコミから何を吹き込まれたか知りませんが、統一教会はお父さんの思っているようなあくどい団体ではありませんよ」

 3万双祝福結婚式以来のマスコミによる批判は毎日のようになされていたので、義父の頭の中にはマイナスイメージがすっかり刷り込まれていた。

 「火のない所に煙は立たん。要するに、悪い所があるから、あんなに批判されるんやろ」

 「お父さん、マスコミは視聴率が取れればいいんですよ。だからあることないこと一方的に報道しています。そこには責任もないし、真実もありませんよ」

 義父はかたくなだった。私の話を拒んだ。

 同席した私の母や兄も、亡くなった父が初盆に霊界から出てきて、「死んだらわかるけど、それでは遅い」と言ったことを伝えて後押ししてくれたのだが…。

 そこで、私は攻める方法を変えてみた。

 「じゃあ、お父さん、マスコミが正しいのか、私たちが言っていることが正しいのか、実際の私たち夫婦を見て判断してください」

 「え?」

 「私たち夫婦が統一教会に入る前と後では、どちらが良くなりましたか?」

 私たち夫婦は、祝福を証しするためにもより良く変わろうと努力してきたし、以前よりは良くなっているという自負があった。

 「ううう…」

 義父は案の定、言葉に詰まった。

 しかし決して「うん」とは言わず、「じゃあ、退院してから話を聞くわ」と答えを濁した。

 「退院してからでは遅いんです。今からしましょう!」

 「え?」

 「お父さん、男でしょ! 男なら一度腹を決めたらジタバタしない!」

 私たち夫婦だけなら、「すぐに出ていけ!」と義父は怒鳴っていたかもしれない。

 だが、そこには私の母と兄もいたので、義理人情を大切にする義父はぐっとこらえている様子だった。

 「じゃあ、どうすればいいんや?」

 「お父さんは何もしなくて大丈夫です。写真を撮りますから、そこに座っててください」

 「なぜ写真なんか撮るんや?」

 義父は少しむっとしながら聞いてきた。

 「お母さんにお父さんの写真と一緒に韓国での祝福結婚式に参加してもらうためです。お父さんは行けないですよね?」

 義父は不満そうだったが、私は構わず写真を撮った。

 「えらく不機嫌な顔ですねえ。美男子に撮りますから、さあ、笑って笑って」

 義父は苦虫をかみつぶしたような表情を無理やり和らげた。

 「こうか?」

 「そうそう。お父さん、やればできるじゃないですか」

 私は幾分強引に話を推し進めてしまったが、その背景には、私の父に祝福を授けられなかったという強い悔恨の情があったからだった。

 付き添った義母には、前もって祝福の話をして納得してもらっていた。
 義母は夫の写真を持って、36万双の祝福結婚に参加するために韓国・ソウルに向かった。
 1995年8月、暑い夏のことだった。

(続く)

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 次回は、「清平っていい所だぞ」をお届けします。