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中和新聞セレクト Vol.3
生活信仰のすすめ

 毎週2回(火、金)、さまざまなコンテンツを配信している『中和新聞』。Blessed Life編集部が同記事のアーカイブスからおすすめのコンテンツをセレクトして皆さまに紹介します!
 第3弾は「生活信仰のすすめ」(家庭カウンセラー:内田由喜氏)のシリーズを毎週水曜日(予定)にお届けします。
 同コンテンツは『中和新聞』2020年4月から連載中のシリーズです。

第5回 み言と訓読生活の必要性〈後〉

(中和新聞 2020年9月8日 通巻1291号より)

 私たちにとって、日々の生活の中で信仰を育み、天の父母様(神様)の愛を実感していくことは、心霊を成長させるうえで大切です。前回は、み言を学び、生活化することの大切さに触れました。今回は訓読生活の必要性について考えます。(季刊『祝福家庭』での連載を整理したものです。文責・編集部)

[Ⅱ]訓読生活の必要性

①訓読生活の必要性
 人間始祖アダムとエバの失敗を蕩減復帰するために、今日まで膨大な期間の復帰摂理歴史が必要でした。

 今、この地上に真の父母様をお迎えし、私たちが共に生きていることは奇跡的なことだと言えます。真の父母様に出会い、祝福を頂いた私たちにとって、この「み言」の恩恵はいかばかりでしょうか。

 ですから、私たちは祝福家庭として、アダムとエバの過ちを再び犯してはいけないのです。私たちに絶対に必要なことは、本然の家庭として定着するとともに「訓読会」を実践することです。

 真の父母様のみ言です。

 「皆さんは、み言に対する伝統を立てなければなりません。韓国の食口も、日本の食口も、アメリカの食口も、み言を体得するにおいて、すべて統一された伝統を立てなければなりません。すなわち、原理に立脚した考え方と生活態度をもち、み言を中心として一体となった伝統を立てなければならないのです。……人が神様のみ言と一致した位置に立てなかったことが堕落です。『取って食べるな』というみ言を絶対視して、伝統を立てなければなりませんでした。しかし、そのようにすることができずに堕落したので、復帰の路程を歩んでいく人たちは、最後に現れる一つの真理のみ言と一つになる伝統を立てなければならないのです」(『御言訓読と霊界動員』84-85頁)

②訓読会の意義とは
 私たちの生涯は、まず水中生活として母の胎の中、つまり羊水の中で、へその緒で命をつなぎ、次に地上で空気を呼吸する地上生活が始まります。私たちは生まれた瞬間から父母の愛を受けながら成長していきます。

 幼少期、青年期を経て成人となり、四大愛を授受し、多くの体験をしながら家庭を営み、地上での生涯を終えて霊界に旅立つのです。

 私たちの人生にとって、命につながる重要な要素は「水」「空気」、そして「愛」の3つです。

 水と空気は、隙間さえあれば入り込んでいくという性質があり、人間の生命を支えてくれます。そして人は、愛によって育まれ、愛によって夫婦となり、子女を生み、命をつなげていくのです。

 「水は、すき間があれば入っていきます。空気も、すき間があれば入っていくのです。神様の愛はどうでしょうか。同じです。最も貴いのです。どこでも通らない所がありません。ですから、水と空気は生命の要素になっているのです。貴い位置に立っています。これを動かし、これをコントロールするのが愛です。愛は、骨髄まで浸透するのです」(『後天時代の生活信仰』159頁)

 訓読会は、正に神様につながる重要な場です。そして、神様、真の父母様の歴史的な心情、事情など、喜びも悲しみも私たちに相続させるために与えてくださった貴い恩恵です。

 「今のこの時は、訓読会を通して霊界が皆さんにつながるのです。(真の)お父様を助けてくれた霊界が、皆さんにもつながって助けてくれるのです。怨讐がきれいに清算されます」(『御言訓読と霊界動員』28頁)

③家庭での訓読生活の実践
 現代社会に生きる私たちは、社会からさまざまな影響を受け、葛藤の多い毎日を過ごさざるをえません。訓読生活は、家族が神霊と真理で成長していくための教育の柱でもあります。夫婦で、また子女も共に、訓読会を定着させましょう。
 訓読の「訓」は「言の川」と書きますが、私たちの心の川に何が流れているでしょうか。

 み言の訓読によって、心の川を汚すごみを、神様が愛で流してくださるようにも感じます。訓読を通して、神様の愛や心情、時には神様の苦しみを深く学ぶことができるのです。

 訓読を続けることで開かれる世界があり、背後にある神様の心情を悟ることもあります。時には、み言に集中できないこともありますが、真の父母様の背後の心情との出合いを積み重ねながら、み言の実体となっていくことができるのです。

 家庭での訓読会は、形にとらわれず、それぞれの霊的背景や成長に応じて工夫しながら、毎日継続することが重要だと思います。

 子女たちは、幼児期から学童期、思春期を迎えていきます。子女の成長段階や彼らを取り巻く状況に応じて、訓読するみ言を選ぶ必要があります。それを、心情を込めて読み、優しく、時にはユーモアを交えてコメントするようにします。

 その場にふさわしく、喜びを感じさせるように導くのです。父親と母親が交互に訓読会をリードするのも、家族の良き思い出となるでしょう。

 訓読会を「行」(編集部注:ぎょう/仏教の勤め・修練に当たる)や「条件」として行うのではなく、楽しく、意味のある時間として、家族としての大切なひと時を過ごしましょう。

 親子でみ言を訓読しながら共に成長していくことが、家族にとって喜びであり、恵みの時間となります。試練に遭ったときも、み言を中心に家族が祈り合うのです。家族が一つとなった証しとして、一人一人の心に深く刻まれることでしょう。

④真の父母様は生涯「訓読生活」
 「訓読」という言葉は、真の父母様から提示された言葉です。私たちの心に最初に浮かぶのは、訓読を生命視された真の父母様のお姿です。どんなに遅くお休みになっても、たとえ病床にあったとしても、訓読会を欠かされたことはありません。

 み言を自ら発信され、全ての基であられる真の父母様は、み言の前に絶対的対象の立場で身をもって示してくださいました。生涯において、み言を絶対的中心として、み言に尋ね、み言に返るという生活を続けていらっしゃるのです。

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 次回は、「ために生きる実践」をお届けします。

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