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中和新聞セレクト Vol.3
生活信仰のすすめ

 毎週2回(火、金)、さまざまなコンテンツを配信している『中和新聞』。Blessed Life編集部が同記事のアーカイブスからおすすめのコンテンツをセレクトして皆さまに紹介します!
 第3弾は「生活信仰のすすめ」(家庭カウンセラー:内田由喜氏)のシリーズを毎週水曜日(予定)にお届けします。
 同コンテンツは『中和新聞』2020年4月から連載中のシリーズです。

第1回 日々、神様の愛を感じる生活を〈前〉

(中和新聞 2020年4月14日 通巻1252号より)

 私たちにとって、日々の生活の中で信仰を育み、天の父母様(神様)の愛を実感しながら心霊的に成長していくことが、とても大切です。本シリーズでは「生活信仰のすすめ」として、信仰の基本的な在り方や実践について考えます。初めに、「日々、神様の愛を感じる生活を」と題して2回に分けて掲載します。(『祝福家庭』での連載を整理したものです。文責・編集部)


■「動機の成長」が大切
 初めに基本的なことですが、「そもそも信仰生活とは何か」と問われたら、一言、「神様の愛を感じる生活である」と言えます。

 それは日々の生活の中で神様の愛を実感し、喜び、感謝しながら生きることであり、さらにその愛を人に伝え、共感する歩みです。言葉で言うのは簡単ですが、そのような信仰生活をするために「動機(情)の成長」ということが重要になります。私たちが行動する際、常に何らかの動機があり、それが出発点になっています。

 例えば、おなかが空けば何か食べたくなります。「食べる」という行動の動機は「空腹を満たしたい」との思いにあります。直接的に心を動かす要因(動機)があって初めて行動に移すのです。

 動機とは、目に見えず、確認しにくいものですが、行動した結果は目で見て確認できます。最初の出発点となる動機が、とても重要になります。

 「木」に例えてみます。木が生い茂るためには「根」がしっかり張っていなければなりません。地中から水分や十分な栄養素を吸収する必要があるからです。同様に信仰生活でも、表面的な行動よりも、根に当たる「心」を中心に、行動に至るまでの動機が重要です。

 「動機を成長させる」ことは“いかに深く根を張ることができるか”につながります。そして、動機の成長は人間の心霊の成長にもつながります。信仰生活において“いかに深く神様とつながるか”になります。つまり、個人における信仰生活の確立が重要なのです。

■神中心の生活に転換
 その動機をどのように育てていけばよいのでしょうか。

 今の時代は、多くの方々が伝道され、信仰生活に導かれるようになりました。だからこそ、動機の成長という内容が大切になってくると思います。それは「み言を聞いて、どのように受け止めるか」ということです。

 私たちの多くは、伝道されるまでは自分の考え方や生活スタイルで、いわば自己中心的に生きてきたと思います。

 ところがみ言を学ぶことで、「神様を中心とする本質的な世界」に目覚め、それまでの自分中心の考えや生き方から、神中心の生活に転換していくことになります。しかし、各人の課題や置かれている環境もあり、神様を中心とする生活ができにくい実情があると思います。

 先輩の食口たちは、共同生活をしながら「ために生きる」実践や、神様に侍る儀式や礼拝を中心として一緒に信仰生活に取り組んできました。今の時代は、教会というよりも、それぞれの家庭を中心にして神様に侍り、信仰生活を営むようになってきています。

■「命の源」としてのみ言の訓読
 先ほど「しっかりと根が張ることで木が成長していく」ことに触れました。そうであれば、神様の愛を感じる生活を送るためには「神様につながる」ことが大切になります。

 無形なる神様について、そのご心情や私たちとの関係、神様と共に生きることなどの詳細な内容が網羅されているのが「み言」です。

 『原理講論』をはじめ、「八大教材・教本」「天一国三大経典」「自叙伝」などに代表的なみ言が記されています。自分の生活や人生に照らし合わせ、これらのみ言をしっかり学習することが大切です。み言が「命の源」になるからです。

 「家庭で三世代が一緒になって訓読生活をする」ことが打ち出されていますが、“条件的に訓読生活をしている”という方も多いのではないでしょうか。み言を自分自身の命の源として考え、1日の中で何度も訓読し、さらにその内容について祈り、神様に尋ねてみましょう。「これは、このような意味でしょうか?」というように。

 神様と人間は「親子の関係」ですから、子供として、み言を通して背後にあるご心情を、親なる神様に尋ねていくことが信仰生活の基本になると思います。

 食口たちに尋ねると、「訓読生活をしています」と答えてくれます。しかし、「いちばん感動したみ言は何ですか?」、「今、自分の命としているみ言は何ですか?」と尋ねると、漠然としている方が多いようです。神様に尋ねたとき、その答えが翌日に与えられたり、1週間、あるいは1か月たっても与えられない場合もあります。

 信仰者として、神様を信じ、素直に神様に尋ねて、祈りながら答えを待つのです。そのようにして神様と自分とを太いパイプで結び、絆をつくることで信仰的に成長します。

■深い心情世界を実感することで成長
 私たちに与えられているみ言は、真の父母様が私たちのために活字として整理してくださったもので、いわば“借り物”です。それを「いかにして私のものにするか」が課題だと考えます。

 かつて李耀翰先生(36双)から、熱心にみ言を勉強していた食口たちが、「あなたはどんなみ言をもっていますか?」と尋ねられたとき、すぐに答えることができませんでした。訓読生活は、習慣的に行うだけでなく、み言が自分の「命の糧」にならなければなりません。

 木のように根を張り、四方八方に広げていくのです。土の中の水分や栄養分を吸収することで、木の枝や葉の生命力となって輝き、樹木全体が成長します。

 そのようなイメージで、み言を学習する必要があります。み言を通して「神様と深い心情の世界を実感したな」という具合に、根を成長させることが重要です。

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 次回は、「日々、神様の愛を感じる生活を〈後〉」をお届けします。

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