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信仰は火と燃えて 7
イエス様の悲しみを知る

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「信仰は火と燃えて」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 教会員に「松本ママ」と慕われ、烈火のような信仰を貫いた松本道子さん(1916~2003)。同シリーズは、草創期の名古屋や大阪での開拓伝道の証しをはじめ、命を懸けてみ旨の道を歩まれた松本ママの熱き生きざまがつづられた奮戦記です。

松本 道子・著

(光言社・刊『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)

イエス様の悲しみを知る
 一足だけのサンダルは、減ってスリッパのようになり、石につまずいて足から血を流しながら、名古屋中の教会を片っ端から訪ね、ただひたすら伝道して歩きました。殴られても、異端だといって罵倒(ばとう)されても、神様の願いを思うと、まずクリスチャンに「統一原理」を伝えたかったのです。名古屋で私の行かなかった教会は一つもないでしょう。しかし、すべての教会は私に反対し、名古屋のクリスチャンが、こぞって私を非難し嘲笑(ちょうしょう)したのでした。

 そうしたある日、路傍で一人のクリスチャンの女性に会いました。彼女は、YMCA(キリスト教青年会)には行けないので、自分の家に来て話をしてほしいと言います。彼女の家は、山の中腹にある別荘のような家で、往復三時間もかかる所にありましたが、私は夜もすがら彼女のために祈りながら、毎日その家を訪ね、二時間ずつ講義をしていきました。

 私は、彼女に会うために名古屋に来たんだという思いで、全身全霊を込めて彼女のために祈り、尽くし、精魂を傾けて講義をしたのでした。ところが、何日間か通い続け、講義が半分ほど進んで復活論まできた時、突如として彼女がいなくなってしまったのです。

 いつものように彼女の家を訪ねていくと、彼女ではなくお母さんが出てこられ、「娘はけさ旅に出ました。もうこれ以上あなたの講義は聴かないと言っていましたので、明日からは来なくてけっこうです。これは少ないですけど、今まであなたが通ってくださったお礼です」と言って、封筒を差し出すのです。

 その時の私の絶望は、到底言葉に表すことはできません。どんなに彼女のために祈ったか、どんなに愛してきたことか。全精神を込めて尽くしたのに、彼女は黙って去ってしまったのです。

 込み上げてくる悲しみと義憤にかられて、私はその封筒を床にたたきつけ、「私はお金をもらうために来たんじゃありません。イエス様の救いを伝えるために来たんですよ」と言って絶叫して泣きました。あまりに悲しくて、黒板を庭へ投げつけ、大地をたたき、胸をたたいて、そのまま気を失うかと思うほどに泣いたのです。イエス様の2000年前の悲しい心情を語った時、彼女はぽろぽろ涙を流して泣いたではありませんか。それならどうして、イエス様を裏切って行ってしまったのか。そう思うと悔しくて、「イエス様、イエス様」と呼びながら泣きました。そして黒板を拾って、てくてくと山を下りたのでした。

 そこはひばりが丘という所でしたが、私は悔しさと悲しさですっかり伝道する力が抜けてしまい、途中の岩に腰を下ろしました。どんなに迫害されても、殴られたり、けられたりしても、そんなのはちっとも痛くないのです。このように裏切られた時の心情というものは、本当に耐えられないもので、岩の上に座ると、また涙があふれてくるのでした。そして、2000年前のイエス様のことが思われてくるのです。イエス様は、めんどりがひなを翼の下に抱くように、イスラエル民族を愛し、弟子たちを愛しました。イスラエル民族にみ言(ことば)を伝えるために、炎天下を歩き続け、水が飲みたくても、おなかがすいても、それ以上にイスラエル民族を愛し、伝道したのです。しかし、イスラエル民族はイエス様を裏切り、3年間寝食を共にしてきた弟子までも、最後には裏切っていきました。その時のイエス様の心情がひしひしと伝わってきて、また絶叫の涙があふれてくるのでした。そして、「ああ、イエス様、誰も聴いてくれません。こんなにてくてく歩いて、一人一人伝道し、やっと一人の人を見つけ出したのに。あなたが与えてくださった人に一生懸命語ったのに、自分がやらなければならないことが分かってきたら、イエス様を裏切り、神様を裏切って去ってしまいました。神様、私はもうクリスチャンを伝道しません。こんな悲しさに耐えられません」と、神様に向かって泣いて訴えました。

 一人の人に裏切られただけでこんなに悲しいのに、6000年間裏切られ続け、しかもそれを耐えてこられた神様の心情は、どれほど悲しかったことでしょうか。イスラエル民族に迫害され、最後には弟子にまで裏切られた惨めなイエス様の心情は、どれほどつらく悲しかったことでしょう。私は、この一人の姉妹の裏切りを通して、神様の悲しい心情とイエス様のつらい心情を知る思いがしました。

 と、その時、イエス様が私の目の前に歩いて来られるのが見えました。白い衣を風になびかせながら、涙を浮かべ、悲しそうな顔をして歩いてこられるのです。そして、「私はあなたをお姉さんと呼びたい。あなたは私よりも大いなる業をするのです」と私を慰めて、サーッと消えてしまいました。そんな霊的体験もしたのです。

▲新たな思いで伝道に出発

 伝道する力は出ないのですが、路傍伝道の時間が迫ってくると、行かなければ、という思いが起こってきて、黒板をさげ、山をとぼとぼと下りていきました。そして名古屋の駅前に立って、この日は泣きながら訴えました。神様が呼んでいる声が聞こえず、笑って通り過ぎていく人々に対して、胸の奥からわき上がる思いを涙とともにぶつけたのです。

 路傍伝道を終え、食堂の椅子に座ると、焦りの気持ちとともに様々の思いが、私の胸をしめつけました。既に30日が過ぎていましたが、まだ一人も天の前に立つ人がいないのです。そればかりか、最後には大きな裏切りによって、私の心はずたずたになってしまいました。失望と落胆は私の情熱を奪ってしまい、心は焦りながらも、あすのことを思うと力が出ないのです。

 大阪では、いい人が伝道されたといって西川先生が呼ばれていくのに、私はまだ何もできていない。40日間、このようにしてただむなしいことだけを体験して帰るのだろうか。もう私はだめだ。もう地獄だ。私は罪深い人間だから伝道できないのか。

 明かりのない暗い道を歩きながら、「天のお父様どうしたらいいんですか」と言って、顔をゆがめて泣きました。そして金ばあさんの家に着くと、一晩中泣いて祈って、その夜は泣きながら眠ってしまいました。

 目が覚めると朝の6時でした。この日からはもうクリスチャンにこだわらず、名古屋中のすべての人々を伝道することにしました。名古屋中の家を片っ端から一軒一軒訪問して歩き、パンフレットを名古屋のすべての人々に配って、それで40日を終わろうと思ったのです。

 栄町という所で路傍伝道をした時のことです。道端にたくさんの人が集まっていたので、私はその向かい側で路傍伝道を始めました。すると、そこに集まっていた人々が、珍しがってみんな私のほうに寄ってきたのです。そこは、蛇を漬けたお酒や蛇を売っているお店でしたが、群衆がみな私のほうへ来てしまったので、その蛇屋の男は顔を真っ赤にして怒り、私のほうにやって来るなり、私を殴りつけました。「この女(あま)、人の商売のじゃましやがって、何が天国だ、このヤソ」と言いながら殴るのです。

 私は殴られながら訴えました。すると群衆の中から、「どうして殴るのよ。私は彼女の演説を今聴きたいのよ」という人が出てきたのです。泣きながら訴える私の声に耳を傾けて、「感心ねえ」という人もいました。これは、次の運命を教える象徴的光景でした。

 このころになると、私は毎日脅しの伝道をしていました。「現代はボタン戦争が起こる時です。神様を知らないで死んだら、あなたは地獄に行きますよ。神様を信じなければいけません。私は神様の啓示を受けて来たのです。私はあなたに神様のことを伝えましたよ。もっと詳しく聞きたければYMCAに来てください」と、そう言って、パンフレットを渡し、走りながら家から家へと訪問していきました。

 そうして歩いていくうちに、一人のクリスチャンに出会ったのです。その人は、私の話を聞いて深くうなずきながら、「あなたは感心ですねえ。私は能なしクリスチャンで本当に神様、イエス様に申し訳ないと思っているんですよ」と言うのです。クリスチャンと聞いて、私の心は躍りました。

 「そうですか、あなたはクリスチャンですか。どうか聖書講義を聴いてください。『統一原理』です。これは神の啓示です」

 私は彼女にしがみついていました。すると、「私は忙しくて聴けませんが、必ず聴いてくれるいい友達を紹介しましょう」と言って手紙を書いてくださったのです。

 彼女が紹介してくれた人は春堂さんという人で、守山という所に住んでいる人でした。私は翌日、さっそくその人の家を訪ねてみました。ところがそこは、名古屋といっても、当時は田んぼの中に家が建っていて、隣の家がはるか向こうに見えるような田舎で、朝の9時から探したのに、やっと目的の家に着いたのはなんと夕方5時ごろでした。

 金ばあさんの家から守山まで、バスで1時間半ぐらいかかります。それから、田んぼ道を歩いて、西へ行ったり東へ行ったりして一日中探し歩いて、夕暮れに春堂さんの家に着いた時には、もう疲れてくたくたでした。ふとガラス戸に映る自分の姿を見ると、まるでどこかの乞食(こじき)のようでした。

 それでもおくさず、玄関に入って春堂さんの家であることを確かめ、手紙を渡したのです。

 「私、あなたの聖書講義は聴きますが、あなたの信者にはならないわよ」

 手紙を読んで、春堂さんは言いました。

 「信者にならなくても結構です。聖書講義を聴くだけでいいですから」

 私はもう必死で頼みました。

 「それなら3人の友達を集めますから、あすの朝9時に来てください。あすから午前中聴きましょう」

 春堂さんが快く承諾してくださった言葉を聞き、私は飛び上がらんばかりに喜んで興奮していました。

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 次回は、「『名古屋のサタンの首落ちたり』」をお届けします。


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